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鎌倉市由比ガ浜にある複数の遺跡から大量の遺骨が出てきた理由を考えてみた

現代は人が亡くなると葬儀が営まれ遺体は火葬される。遺骨は代々続く墓所に納められる。昨今では墓所を「永久」に、子供や孫の代まで継承しないことを前提とした、海洋への散骨や樹木葬を望む人も珍しくない。しかしそれは、古くからある墓を子孫が続く限り守り続けることが「当たり前」と思われてきたことから、「新しい」あり方だと見なされているだけだ。

一方、中世では遺骨を寺院なり共同墓地に納め、そこに石碑を建て決まった時期に墓参するということばかりではなかった。その一例として、おびただしい量の人骨が発見された、神奈川県鎌倉市由比ガ浜の中世集団墓地遺跡や由比ガ浜南遺跡を取り上げる。

鎌倉市由比ガ浜にある複数の遺跡から大量の遺骨が出てきた理由を考えてみた

政治的には非常に重要な役割を果たしてきた鎌倉

そもそも「鎌倉」は、海を擁する地域だったことから、古代律令制当時から鎌倉郡衙(ぐんが。役所)が置かれるなど、政治的に重要な場所だった。その後、源頼朝が1180(治承4)年10月に、大倉(おおくら)に居館を造営し、幕府を開いた。それに伴い、幕府の諸機関を設立。鶴岡八幡宮の遷座や、勝長寿院(しょうちょうじゅいん)などの寺院が建立された。
更に道路を整備し、御家人の宿館を設けるなど、京都と二分する「都」が整えられた。しかも鎌倉の中心部から見て、南西部に位置する由比ガ浜の東側には、北条氏の執権政治の時代、1232(貞永元)年に開かれた港・和賀江嶋(わかえのしま)が存在していたことから、首府「鎌倉」そのものの重要性が増すことになる。更に鎌倉幕府滅亡後の室町時代には鎌倉府が置かれ、その繁栄は継続したが、15世紀半ばの戦国時代には衰退してしまう。

由比ヶ浜は海運や商業が盛んで、宗教的な特徴もある独特な場所だった。

中世集団墓地遺跡が散見する由比ガ浜は、西は稲村ヶ崎、東は飯島崎までの浜地一帯を指す。中世期には「前浜」とも呼ばれていた。しかも中世三大紀行文の『海道記』(かいどうき、1221頃)に、「由比浜(ゆいがはま)には数百隻の船、家並の続く姿はさながら大津や淀(よど)のよう」と記されるほど、多くの人、文物が行き交う港町として興隆を極めていた場所でもあった。同時に先に挙げた遺跡から鍛治関連の遺物が多く発見されていることから、単なる「海運の町」「商業の町」、または「武家の町」のみならず、必ずしも「土地の者」とは限らない、「よそ者」「流れ者」でありつつも、専門技術を持つ職能集団が多く住んでいた、独特の「場所」だったことが推察されている。また、和賀江嶋の維持・管理を担っていた極楽寺(ごくらくじ)は1259(正元元)年、律宗(りっしゅう)の僧・忍性(にんしょう)によって開かれた寺だが、癩宿(らいしゅく)・薬湯室(やくとうのむろ)・坂下馬療屋(さかのしためりょうのおく)などが寺内に設けられ、当時の仏教界では顧みられることのなかった病人や体の不自由な人々などを含む周縁の人々への救済活動が行われていた。それゆえ、この一帯は「鎌倉」でも独特の様相を呈していたのだ。

非常に盛んだった由比ヶ浜になぜ集団墓地が生まれたのか

このような由比ヶ浜に多くの墓地遺跡が点在していることから、先に述べたように、人が死んだ後、遺体を火葬し、骨を寺や共同墓地内の墓所の奥深くに納める習慣がなかったことを物語っている。

由比ガ浜南遺跡の発掘調査の際、無数の人骨を投げ入れた穴が多く発見された。ある地点で発見された人骨の総数は3000体以上に及び、15歳以下の幼小児骨が40%を占めていたという。発見された人骨は頭部と下肢がほとんどで、骨の縁には犬の噛み跡が見られた。そのことから、当初は死体がどこかに放置され、手などの細い骨は早い時期に犬が持ち去ってしまった。そして残った頭部や下肢が集められて、穴に投げ入れられたと考えられている。

現代の我々は、当時の葬法や死生観、そして由比ガ浜近辺に多くの人骨を投げ入れた穴が存在したのかについて、その理由を完璧な形で知ることはできない。しかし、考えられることはいくつかある。

大風雨や洪水、地震、大火などが相次ぎ、多くの犠牲者を生んだ

ひとつ目は、1215(建保3)年の大風雨、1237(嘉禎3)年の洪水、1241(仁治2)年の火災と大地震、1247(宝治元)年、1251(建長3)年の大火、1257(正嘉元)年の大地震など、1200年代の由比ガ浜周辺で立て続けに災害が発生し、多くの人々が犠牲になった。そうした人々のうち、当時の慣習では、身内以外の者が葬送儀礼を行うことは禁忌とされていたことから、身寄りのない人の遺骸は路傍に放置されたままだった。そのような遺骸・遺骨をまとめて集め、埋葬や供養を行ったのが、「土地の者」ではない人々や、極楽寺の僧侶たちであった可能性は極めて大きい。

災害で亡くなった幼い子供は災いをもたらすと信じられていた

ふたつ目は、そうした遺骸や骨は、ただ「放置」されているばかりではなかった。本来親よりも長生きすべき子どもが、不慮の事故や病で先に死んでしまうことを逆縁(ぎゃくえん)と言う。こうした子どもたちは家や集落が有する共同の墓地に埋葬されずに村境など、集落の境界にまとめて葬られた。それは逆縁の魂は成仏できない不浄の霊とされ、邪霊となって災いをもたらすと恐れられていたからである。更に逆縁でなくとも、先に述べた災害などで、不本意な形で亡くなった人々の魂も同様に不浄、邪霊視されていたのだ。

臭いや衛生上の問題

第三の理由としては、当時大災害が頻発していたことにより、引き取り手がなく、路傍に放置された遺骸の腐臭が凄まじかった。それゆえ、幕府は鎌倉の中心部にそのような遺骸の埋葬を禁止したという。そのためどうしても、弱者救済を積極的に行なっていた極楽寺近辺、所有者が明確に存在するわけではない「浜」の周辺地域などに埋葬されたことなどである。

最後に…

今日、由比ガ浜近辺には、当時の暗鬱な、さながら地獄絵図にも似た状況は全く残っていない。そしていくら「散骨」や「樹木葬」を望む人々が増えてきているとはいえ、身元不明の遺体や骨があちこちに放置され、腐臭を放っていたり、「周縁」とされた地域の「穴」に、無数の遺骸が投げ込まれていたということに対し、我々の多くは正直、驚いてしまうだろう。そして、「かわいそう」「哀れ」と思うかもしれない。しかし「当時」は、遺体を含めた「穢れ」への恐れは、今以上に強かったことから、そのような「取り扱い方」が当たり前だったのだ。

我々が立ち止まって考えねばならないことは、「死」は必ずしも「きれいなもの」ばかりではない。醜く、禍々しく、恐ろしい側面もある。その冷徹な現実をありのままに受け入れ、その日その日を悔いなく生きる。そして時折、亡くなった自分の身内や知人はもちろんのこと、自分とは全く関わりのない、遠い昔、「ここ」で命を終えた人々のことを想像する。そして今ある「自分」の命の「重さ」、そして「軽さ」に思いを馳せてみることだ。

参考文献

■松尾剛次『中世都市鎌倉の風景』1993年 吉川弘文館
■斉木秀雄『中世都市鎌倉を掘る』1994年(93−112頁)日本エディタースクール出版部
■神崎彰利・大貫英明・福島金治・西川武臣(編)『県史14 神奈川県の歴史』1996年 山川出版社
■由比が浜中世集団墓地遺跡発掘調査団(編)『神奈川県・鎌倉市 由比が浜中世集団墓地遺跡発掘調査報告書 –由比が浜4丁目1136地点 (KKR鎌倉若宮荘) −<第一次調査>(第1分冊・古代編)』1997年 由比が浜中世集団墓地遺跡発掘調査団
■財団法人かながわ考古学財団(編)『かながわ考古学財団調査報告 164 由比ガ浜南遺跡 都市計画道路長谷常盤線街路整備事業に伴う発掘調査』2004年 財団法人かながわ考古学財団
■佐藤弘夫『死者のゆくえ』2008年 岩田書院
■勝田至「日本中世の葬送」諏訪春雄(編)『アジア遊学 124 東アジアの死者の行方と葬儀』2009年7月30日(38−45頁)勉誠出版
■秋山哲雄『都市鎌倉の中世史 吾妻鏡の舞台と主役たち』2010年 吉川弘文館
■鎌倉市教育委員会(編)「由比ガ浜中世集団墓地遺跡(由比ガ浜2丁目1015番25外2筆地点)」『鎌倉の埋蔵文化財 16』2013年(10−11頁)鎌倉市教育委員会
■川村邦光『弔いの文化史 日本人の鎮魂の形』2015年 中央公論新社

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