元来は出家し仏門に入った際に、修行僧が、厳しい修行と戒律の世界で生きていくための証として、師でもある僧侶に授けられる名前が「戒名」であったのです。そして、現代における一般的な「戒名」とは、故人が無事に成仏し、あの世で生きて行くための名前という解釈が根強いものとなっています。当然、故人とその遺族も仏教の信者ということになります。
「戒名」のランク
授けてもらう「戒名」にはランクがあり、寺院にお布施を支払い「戒名」を授けてもらうことになるのですが、その金額によってランクが変わってきます。ただし、必ずしも支払った金額が高いほど良いというものでもありません。最も大切なのはこれまでの、そしてこれから培う寺院との信頼関係と貢献度なのではないでしょうか。勿論、その場で授けられる「戒名」そのものは金額が高いほどランクも高いものとなりますが、数万円~数百万円とかなりの開きがあり、そのご家庭の事情に見合ったランクがあの世でも反映されるものであり、あまり見栄を張ったところであの世で苦労するだけでしょうし、今世において「お金だけが全てではない」ということを知っている故人なのですから、支払う遺族も相応の金額で充分だと思われます。
今も昔も共通するのは極楽浄土への願い
修行僧の「戒名」も、故人へ授けられる「戒名」も、その深層での意味合いは変わらないのではないかと考えられます。
煩悩を捨て仏門に入る修行僧。しかし、煩悩を捨て去り悟りを開くという願望こそが煩悩そのもののような気もしてくるのです。その行いにより、極楽浄土での幸福を願う。それはまさに遺族の故人への想い、そのものなのではないでしょうか。
仏教の輪廻転生と考え方では、今世における人としての行いが、死後の世界への審判となり、浄土へ行けるか地獄へ落ちるかは人生の生き方しだいということになります。ですがその審判の決定など誰にも知りようがないのです。だとしたら、残された人々のせめてもの極楽浄土へのはなむけは、葬儀を行い、供養をし「戒名」を送る程度のことなのでしょう。この「戒名」にはそれだけの遺族の想いが込められているのです。実際にあの世で閻魔大王によってどのような審判が下るかは……それは故人が生前にどのような人生を送ったか……それ次第なのですが。
ですが、残された人にしっかり供養してもらい、そして「戒名」まで頂けるのであれば、それはきっと、その人が生前、誰しもに愛され、素晴らしい人生を送った証に違いないことでしょう。