葬儀において、参列者は皆、祭壇に飾られる、故人の表情が残る遺影を目にし、亡き人の思い出が蘇ってくることでしょう。その後も、仏壇と共に残される遺影の中の一コマが、遺族、友人、知人たちの心に生き続ける故人の姿となるのです。
遺影は死後も残るもの。だからこそこだわりたい
ところが、死後にその一枚の写真が半永久的に自分の姿として残されるとなると、自分が死ぬ前に、気に入った写真を遺影候補として残しておきたいと考えることもあるのではないかと思います。残念ながら、人はいつ何時、死を迎えることになるかわからないのです。いざというとき遺族が選んだ写真が、集合写真から引き伸ばした写真というのでは、想像しただけで不本意でしょう。
最近では、遺影のカタチも、ひと昔前のイメージからかなり変わり、イマドキのカタチに変化を遂げてきています。その半面、昔は写真がフィルムで、アルバムなどに残っていましたが、現代ではデータによる保存が主になっていて、形として残っていない場合が多く、遺族が見つけて選別するのが難しいケースがあり、尚更、遺影候補の写真は自ら選んで家族のために残しておく必要がありそうです。
遺影は写真じゃなくてもよい!
一見、堅苦しい感じがするのですが、別に何も決まりはない遺影。必ずしも写真である必要はないのです。故人の生前を思わせるイメージという意味では肖像画でも構いません。肖像画というのは、描き手がモデルをイメージとして捉え描くものですから、後世に残る故人の象徴としての遺影には良い素材かもしれません。
あたりまえですが、写真のない古き時代に活躍した偉人たちのイメージは肖像画ですよね。現代に残されたその画から私たちは過去のヒーローを連想し、歴史ロマンに思いを馳せるのでしょう。ですが、義経、尊氏、信玄、謙信、信長など数々の英雄たちも、実際の姿が写った写真を見てしまったら、ちょっと幻滅、なんてことになるかもしれませんね。
たしかに今の時代、あのような勇ましい姿や、女性の妖艶な姿を肖像画として残すというのは現代の風潮にはそぐわないことでしょう。しかしその中でお気に入りの自分として、自らを象徴する一枚を写真としてでも残しておくのは、きっと後々の自分にも大切な人々にも喜ばれることではないでしょうか。
重要なことは故人の意思
やはり、故人も遺族も、最も納得できる遺影は、故人が生前に選んで決めた写真ではないでしょうか。
写真というのは、見る人によってかなり印象が変わります。特に自分の写真というのはかなりこだわりがあるはずです。誰でも、少しでも良く見せたいと思うはずです。その少しでも良い写真を選んで残すことができるのは、自分だけなのです。そして、その写真が、後世に残されていくのですから。