家が仏教であるにも関わらず、私は高校生になるまで仏教の行事に参加することが少なくその手の作法には全く詳しくなかった。高校3年生になった年、祖母の喜寿のお祝いにあたって祖母があるものをくれた。開けてみるとなんと数珠。大変ありがたかったのだが、当時私は数珠の正しい使い方なんて分からず、慌てて勉強を始めたのだった。
喜寿を迎えた祖母からの贈り物が「お数珠」だった
我が家は父方が仏教、母方が神道だ。今まで家からの距離的な意味で、母方のところへ帰省することが多くどちらかと言えば神道の方がなじみ深かった。中学生の頃引越し、父の実家が近くなって仏教周りの行事にも少しずつ参加するようになった。
さて困ったことに、私は仏教の作法にあまり詳しくない。神道特有のお参りの仕方とか、お祭りの仕事とか、そういった知識は多くあったが仏教には未だに馴染んでいなかった。まあおいおい覚えればいいか、と楽観視していた頃、高校三年生になって、父方の祖母が喜寿の年を迎えた。
久しぶりに父方の親戚で集まり、食事をしたり一通り会話を弾ませたりした後、私と妹は祖母に呼ばれた。「今日はありがとうね。これはあたしと、あんたの伯父さんが選んだものだけど、大切に使いなさいね」と、にこにこしながら布にくるまれたものを渡してくれる。開けてみると、そこには瑪瑙が使われた綺麗なお数珠が入っていた。
嬉しかったのだが同時に、わっ、どうしよう、と思ったのを覚えている。私が仏教に疎いのは先ほど述べたが、数珠についても存在を知っているだけで、どこでどのように使うかなどはほとんど分からなかったのだ。
数珠について何も知らない! 高3にして密かに反省した話
帰宅後、慌てて数珠についての勉強を始めた。せっかく頂いたものを、使い方が分からないから、と邪険に扱うことだけは絶対にしたくなかったからだ。
お恥ずかしいことに無知の至りで、合掌するときに手にかけておくようなものだろう、と漠然と考えていたものだったから、座っているとき、歩いているとき、焼香のときと状況によって正しい持ち方があることにまず驚いた。これがさらに宗派によっても変わるので、とにかく自分の勉強不足を恥じた。今まで拝んでいた仏様にも失礼なことだったろう。
数珠は人への貸し借りもNGだそうだ。子供の頃、いつかの法事で父親に貸してほしいとせがんだことがあるが、父親があんまりいい顔をしなかったのもこの為だったのかと、数年越しにようやく理解した。それは単に「なんだかきれい」と思ってのわがままだったが、数珠も仏様を拝む大切な道具の一つであることをようやく認識し、やはり申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
自分で学び、子供たちにも伝える
冠婚葬祭のマナーなど、大人になれば当たり前に見についているものだと思っていたが、まるでそんなことはないと高校生の私は深く深く反省した。確かに子供には難しい話かもしれないが、家族の一員として何か行事に参加するときなど、知らなければ恥ずかしいことが山ほどある。祖母から頂いた数珠はそのことを考えるきっかけにもなって、大変ありがたかった。
文化の継承、というと話が大きくなりすぎるかもしれないが、そういったマナーや大事なことについて、自分に関わることはきちんと学びたいと思うし、子供たちにも機会を設けて伝えていかなければなるまい。
さて例の数珠であるが、大学入学にあたって家を出る際に一緒に持っていった。これも知ったことの一つだが、数珠は持っているだけで厄除けにもなるそう。祖母の思いのこもった数珠、今度は正しく自信を持って使えるようになりたいものだ。