私は義父を長いこと介護し、私自身が身体を壊して命の危機に陥るほどの経験をした。しかしそんなことになっても、この介護がいつまで続くのだろうと不安に思ったことがなかった。義父がいなければ病気になることもなかっただろうと考えることもなかった。入院のベッドの上で、家で私を待っている人のことをひたすら考えていた。私が倒れてしまってお世話ができなくて申し訳ないと思っていた。
介護をしている私が、逆に義父に依存していると言われた
そんな私を、ある人が「依存だ」と言った。思いもよらない言葉である。依存しているのは義父の方ではないか。その依存にできる限り答えようとしているだけだ。ところがその人は「依存されていることに依存しているのだ」というのである。私は何を言っているのか理解できなかった。24時間切れ目なく続く介護生活にどっぷり浸かっていた当時の私には、自分を客観視することなど不可能だったので、第三者からそんな風に見えるのだとは思いもよらなかった。
意外でシビアな言葉も、冷静に自分を見つめてみると、案外素直に納得できた。必要とされていることが私の生きるよすがだったのだ。だから身体を壊してもなお、義父を思っていたのであり、それは「依存されていることに依存している」という表現が正にぴったりだった。この介護にいつ終わりが来るのかと考えなかったのは、自分の生きがいがずっと続くことを願っていたのかもしれない。
義父が亡くなった。
しかし義父に終わりの日が来た。
目の前で静かに逝った義父は、呼吸と鼓動が次第に弱くなって止まって行く様を最期まで見届けさせてくれた。あれ程私を傍にいさせたがっていたのに、どんどん遠ざかって逝ってしまった。けれどもそれは、さっきまで起きていた人が眠りにつくのに似ていた。煙となって空に昇って行った義父を見つめていた時、それは遠い所へ移り住む友人を見送るような気持だった。
依存していると言われて、自分を見つめることができていたお陰で、心穏やかに見送ることができた。
確かに義父は亡くなったが、それはただ単に命の形が変わっただけのこと
もう問いかけても答えてはくれないが、迷った時には、義父なら何と言うだろうかと思う。肉体は目の前からなくなったが、遠いところにいるだけだという気がする。魂がここにあるという言いかたが相応しいかどうか分からないが、義父から数多くのことを学び、それらが現在の私を形成する一つのピースとしてなくてはならないものとなっている。だから義父がいつも共にあるように思えるのだ。
死は、命の流れの中の一つの出来事なのだと思う。死ねば確かに生命は尽きる。しかし義父を看取った時、生命活動が終わったという、命の一つの形が変わっただけで、亡くなってもその人が義父であることに何ら変わりはなかった。そしてその時、何かを受け渡されたと思った。亡くなったけれども、静かに命が流れているのを感じたのだ。