遺影とは、故人の写真や肖像画のこと。
通夜・告別式の際に祭壇に飾られ、その後は仏間や床の間に置かれるようになるのが一般的です。
従来の遺影は漆塗りの黒のフレームに、着物を着たモノクロの写真が用いられることが多くありましたが、近年は葬儀に対する考え方が多様化し、フレームをカラフルな色で選ぶ方も増え、カラー写真が使われるようになりました。
写真は生前のスナップ写真や集合写真から故人だけを抜き取り、加工するという方法が多く取られています。
ただ写真から本人を抜き出すだけではなく、色合いや背景の変更も可能で、さらには衣服の着せ替え(普段着→礼服など)や、顔の輪郭やパーツ・表情の修正といったサービスもあります。
またここ数年では、デジタルフォトフレームなどを用いた動画の遺影といったものも出てきています。
より故人らしい葬儀、そして遺影の姿が表れているといえるでしょう。
最近撮った写真がなく、どれも仏頂面ばかり(体験談)
筆者自身、遺影に関しての思い出があります。
それは、祖父がある年の春に急逝したときの話です。
二世帯で一緒に暮らしてきた祖父。
定年退職し、それまで仕事に追われるばかりで趣味もなく、家にいるだけでやることもなかった祖父は目に見える形で次第に衰えていきました。
どうにか旅行にでも連れ出してやりたい。
そんな家族の思いも虚しく、頑固な祖父は「行かない。勝手に行ってこい。」の一点張り。
だんだん家族が誘うことも減っていきました。そうすると、出掛けた際に撮る記念写真もありません。
なんとか元気になってもらいたいと思いつつも、時が過ぎていきました。
そして、別れは突然やってきたのです。
葬儀屋さんへの手配、親戚や知人への連絡に追われましたが、ふと遺影はどうする?という問題が出てきました。
最近撮った写真はほとんどなく、しかも仏頂面ばかり。
けれど、やっぱり最後くらいはにっこりと笑顔の写真で送りたい。どうせなら最近の写真がよかったのですが、結局、祖父が今よりもずっと元気な頃の笑っていた写真を選ぶことになりました。
故人の人柄や生き様を濃縮させた1枚となる遺影
最近では、自分の遺影は自分で選ぶ、と生前に準備をする方も多くいます。
別れは突然やってくるものです。
残された家族の負担を少なくするためにも、準備をしておく。
それもひとつの終活の形なのかもしれません。
しかし、自分で遺影は選んでおきたいと思っても、いざ実行に移す時間がなかったり、そこまでするには腰が重いという方も多いのではないでしょうか。
そこで筆者が思うのは、何かの機会で写真を撮ることがあれば、にっこりと笑顔で。
せっかく残るのですから、いい表情で写っている方がすてきです。
いつかのために、いつも笑顔で。
そして写真だけを気にするのではなく、
「毎日を笑顔で過ごすこと」
それが自分を支えてくれる周囲の人たちへの思いやり、終活へと繋がっていくのではないでしょうか。