人間にとって逃れられない運命である「死」は、一般に中世後期と言われる14世紀、15世紀のヨーロッパにおいて、現代の我々以上に、常に身近に感じられるものだったという。それは、ヨーロッパ全土の4分の1、または3分の1の命を奪ったとされる黒死病の大流行が最大の理由である。
そのため当時は、「死」をイメージさせる絵画が多く制作された。その目的は、「死」の恐怖を民衆に喚起させるためではなく、メメント・モリ「死を思え」という警告を込めるためだった。
死と隣合わせだった時代に描かれた数々の絵
それは、キリスト教で信じられてきた最後の審判がやってくるということと、絶対に治らない重篤な病のイメージとを重ね合わせることで、日々、死を意識しながら、自暴自棄や諦念、そして豪奢や怠惰などのさまざまな誘惑に流されることなく、いつ来るかわからない死、または神のさばきの時に備え、敬虔かつ堅固な信仰生活を送るよう導くためだったと言われている。
そのような絵の中に、アルフレッド・デューラーが描いた『恋人たちと死』(1496年頃)や、ハンス・ゼハルト・ベーハムの『貴婦人と死』(1541年)のように、優雅に着飾り、その美の盛りにある貴婦人、または恋の熱情の真っただ中の男女のそばに、砂時計を持った髑髏がいる。髑髏は当然、「死」を象徴するもの、または「死神」かもしれない。何故髑髏が人間のそばにいるのか。それは、人間社会で重んじられている美や美徳、求めずにはいられない男女の恋情などは、いずれ滅してしまう。それゆえ、そのような虚しいことに心を囚われるなと警告しているとも言えるし、逆に、死は常に人間のそばに寄り添っているものであるから、遅かれ早かれ、跡形もなく消え失せてしまう。だからこそ、今この時を心ゆくまで満足して楽しめ、と勧めているとも考えられる。
老いることも一つの死なのか
自分の意識や体内の全ての器官が停止してしまう「死」のみならず、厳密には「死」ではないにせよ、人間ができることなら失いたくない美・若さ・健康を、「あの頃」と比べて「衰えてしまった」、または「これから衰えてしまったらどうしよう」と、日々思い悩むことは、実にやりきれないことである。現実にくぼんだ眼窩にむき出しの歯で、何の表情も窺い知れない髑髏が、時の経過をあからさまに示す砂時計を持って、自分のそばに寄り添っているかどうかはともかく、自分自身の焦燥感が、そのような髑髏を生み出し、常にそばに置き、その一挙手一投足や砂時計の減りに恐れおののいているだけなのではないか。
人間は時に、何とか、永遠の若さや美貌、そして健康を手に入れ、人を恋したり愛したいと切望せずにはいられない。エアハルト・シェーンの『愛の泉(または青春の泉)』(1535年頃)には、古今東西の人間たちが追い求めて来た、不老不死の夢が描かれている。二輪車や一輪車に乗せられた老人が、身内または伴侶と思しい老人に、小便小僧のようにこんこんと奇蹟の水をもたらし続ける道化のモニュメントがそびえる噴水まで運ばれ、その水の中に投げ入れられる。すると老人たちはその水の効力によって、一気に若返る。そして若返った老人たちは、泉のそばの草原で仲むつまじく過ごしている…。
最後に…
しかし、今現在、人間は「愛の泉」に充当する奇蹟を発明・発見していない。それならば、「昨日」「おととい」よりも若さや美貌、健康をなくしてしまったとしても、「明日」「あさって」よりは失われているわけではないので、とにかく今に感謝し、楽しむことが得策ではないだろうか。しあさってにはもしかしたら、「愛の泉」が見いだされるかもしれない。だが、不老不死が当たり前になってしまったら、人間は身勝手にも、「老いないこと」「美しいままであること」「健康で居続けること」に倦んでしまい、逆に「死」や、「死」を象徴する髑髏のことをうらやましく思い始めるのかもしれないが…。
参考文献:女を描く ヨーロッパ中世末期からルネサンスの美術に見る女のイメージ、 醜の歴史、