古代ギリシア人にとって、葬儀は人の人生の総決算であり、個人の名誉を讃える場でもあった。そのため、現代の我々が捉える葬儀以上に重要なものであった。
そのような葬儀観を持った古代ギリシア人の墓は、どのようなものだったのだろうか。当時の墓所に残された遺物である、壷を通して考えてみたい。
古代ギリシアでは器の表面に描かれる絵は「物語」を表していた
当時、「ものを入れるもの」は、今日のような、ガラスやプラスチック、金属製のものではなく、粘土で作った器が用いられていた。それゆえ、現代人の目からすると、単なる「粘土製の土器」にしか見えないものであっても、古代ギリシア人は用途に応じて、さまざまな大きさや形の器を作り、使っていたのである。
しかも、紀元前7世紀に、今日我々が知る、大理石による精緻でモニュメンタルな人物彫刻がさかんになってからは、そうした器の表面に描かれる絵は、「物語」をいかに表すかということに力点が置かれ、現代日本の漫画やイラストを彷彿とさせる、人物やその状況を類型化・形式化させ、劇的に強調したものになっていった。
古代ギリシアでは壷が重要な意味を締めていた。一方、日本では葬儀の壷といえば…
そのような粘土製の器の中で、特にレキュトス(lekythos)と呼ばれる、直径10〜15cm、高さが30〜50cmの香油壷は、紀元前5世紀半ばから、葬儀で重要な役割を果たしたものだった。
レキュトスの中にはオリーブ油、そしてバラや白檀、フランキンセンスなどの香り高い精油が入れられ、遺骸を浄める際に用いたばかりではなく、遺骸と一緒に埋葬されたり、墓標の代わりにも用いられていた。そして古代ギリシアの器の多くは、赤絵や黒絵と呼ばれる、モノトーンの文様や彩色が施されていたのだが、レキュトスの場合は、表面の白色化粧土に、赤・茶・青・黄・群青色などの派手な絵の具を用いた絵が描かれていた。
絵のモチーフの多くは、葬儀の様子や、墓所に参る人物を描くなど、死者への慕情や哀悼の意を表したものだった。幸運なことにレキュトスの多くは、摩耗や破損がつきものの日常雑器とは異なり、墓所に収められたり飾られたりしていたために、とても長い時を経過したものであっても、比較的良好な状態で発見されている。しかもそれらの美しさや芸術的価値の高さゆえ、常に古代の墓泥棒に狙われ、盗掘された壷は好事家の間で、高値で取引されてもいたという。
日本においては言うまでもなく、多くの絵が描かれ、土器や陶磁器などが作られてもいたが、葬送儀礼の伝統の中で、葬儀の様子や墓参の人々を描いた壷を副葬品としたり、或いは墓標などの装飾品として用いたことはなかった。葬儀で「壷」と言えば、遺骨を納める「骨壷」しか存在しない。
作家の水上勉は骨壷を作っていた
話は飛ぶが、『雁の寺』『飢餓海峡』などで知られる作家の水上勉は、幼少期から青年期のおよそ9年間、臨済宗の禅寺で修行していた。そのときに目にしていた骨壷に関し、「量産品の顔」、「つまらぬもの」、「簡素きわまりなくて、味のない白灰一色の代物」、「透明釉薬で艶光りしているもの」ばかりで、到底、鑑賞に耐えるものでないと感じていたという。
しかし水上は、1960年代半ばに、評論家の小林秀雄に同行して沖縄を旅した折に、「金銀の色もかけられた、みごとな釉薬」、「白地に紺で龍王を描いたもの」、「朱もまじって、南国の花が何か大きな蛇の舌みたいにからんでいる絵柄」など、多くの骨壷を目にした。またその同時期に、韓国・慶州の美術館か博物館の図録に掲載されていた、「文福茶釜のようなもの」、「龍宮の屋根みたいな豪華絢爛といえる七色の釉薬を使った磁器」に触れた際、「人生の終着駅を大切に考えている民族に羨しさ」を覚えたという。
そんな水上はあるとき、ふるさとの福井県・若狭の谷をゴム長靴で歩いていた。そこで靴底にねっとりついて来る赤土に気がついた。ちょうど水上はリューマチを患っていたため、主治医から、リハビリがてら陶芸でもやって、手ひねりで茶碗をつくって遊びなさい、とアドバイスを受けていたこともあり、同じく作家の志賀直哉が有名な陶芸家・浜田庄司の作品を自らの骨壷にしたこと、そして、「なぜに、苦労多い人生を果てたのに、オリジナルな壷に入って楽しまないのだろうか」と思いながら、自ら骨壷を作り始めたのである。とはいえ水上にとっての骨壷は、厳粛なもの、或いは「芸術作品」というよりは、あくまでも、「梅干や砂糖を入れるに適した物」「台所のどこにおいても、手をのばしたいような容器」を思い描いたものだったという。
骨壷を作るという終活もありかもしれない
古代ギリシア人による、鮮やかな彩色を施されたレキュトスは、水上がこだわった「骨壷」とは微妙に違うが、「量産品」とは異なる、オリジナルの壷を副葬品や墓標にすることによって、遺族が、送る人のその後の人生を楽しんでもらおうとしていたことは明らかである。
今日我々は、「終活」という言葉を耳にすることが多くなった。将来入るであろう自らの骨壷を水上勉のように手ひねりで作る人も少なくないかもしれない。古代ギリシアのみならず、日本においてもやはり、葬儀は「人生の総決算」である。自らの「死」を、「今はそれどころではない」から、「考えないようにする」のではなく、時には古代ギリシア人を見習う形で、我々も「明るい」葬儀の形を模索する余裕を持ちたいものである。
参考文献:西洋の壷、 骨壺の話、 壷絵が語る古代ギリシア―愛と生、そして死、 西洋美術への招待、 図説 古代ギリシア、 、 ヴィジュアル版 ギリシア・ローマ文化誌百科〈上〉、 大英博物館 古代ギリシャ展 究極の身体・完全なる美