終活と一言で括ってみても、内容は人によって様々だ。しかし、パソコンやスマートホンが生活必需品となった現在では、ある意味見落とされがちな終活があることを最近認識した。
人によっては既に対策済みなのかもしれないが、筆者が思ってもみなかったことで、意識するようになったらかなり厄介な問題であることに気が付いた。
それは、自分が死んだ後において、パソコンやスマートホンに保存されているデータ、SNSを始めとしたインターネットにおけるコミュニケーションツール等に保存されているデータをどうするかということだ。
無料・有料の様々なサービスが存在する
先日、筆者が友人達と会食していた際、友人Aが自身の子息がAのパソコンに保存してあった猥褻な画像を見ていた。それをAの婦人に見つかり大問題になったことを溜息交じりに愚痴を零していた。他にもう一人似たような経験を持つ友人Bが居て、その場にいた筆者を含む全員が苦笑していた。
その際にAが、もし自分や皆が事故や突然の病気に倒れて急逝した場合、そういった画像はどうなるのか気になると言い出した。これが発端であったのだ。会食が終わり、帰宅してすぐに調べ始めてみると、同じようなことを考える人がかなり居ることが分かり、如何に自分がそういった問題について無頓着だったかを思い知った。
実際には様々なソフトが設定されていて、無料でダウンロードしたうえでそのソフトを利用すれば、ある程度解決できるものもある。しかし、調べていくうちに行政書士がデータの削除や保存を死後に代行して貰えることが分かった。他にも様々なサービスがあることが分かってきたが、問題は料金だ。
いつ訪れるかわからない死
自分でできるものがあれば、料金がかからない。または、料金がかからないものを自分で探せばよい。しかし、専門家に依頼する場合には、当然料金がかかる。これは考えどころだろう。でも、自分の死後の話しなので、当然自分でできるはずもない。結局は本人次第ではあるのだろうが、筆者の場合だと、考えなければならないものが増えた、というのが今現在の結論だ。
死は平等であり誰にでも訪れるし、何時そうなるかは誰も分からない。だからこそ、いざという時に備えなければならない。分かっているようで分からなかったことが、まだ有りそうである。普段の生活の中にも、終活に関連した事象において、埋もれてしまっているものがあるのかも知れない。今一度原点に戻り、終活を練り直すとしよう。