近世〜近現代に行われた、アイヌの人々の伝統的な葬送儀礼には、実に興味深いしきたりがあった。その葬送儀礼は、主として一家の主婦が高齢になって亡くなった時よく行われた。どんなことかを端的にいうと、故人の死後の世界での住居を準備することである。
なぜ特に、一家の主婦というか女性の死に際して、この儀礼が行われたのだろうか。幾つか理由はあるようだが、女性は「家の柱」であるとする考え方があったことも、大きな理由である。
亡くなると、生前に建てた死後の世界での住居を燃やす
もう少し具体的にいうと、例えば寿命によって死期が近くなったのを悟った女性は、死後の世界で必要だとされる住居を建てるよう頼む習わしがあった。多くの場合、彼女の子息が、母の死後の住居を準備する役となった。
「あの世での住居」には、死後いきなり入居するよりも多少なじんだ方が良いとする信仰もあり、「あの世での住居」を建ててもらった高齢者は、余生をそこに住んで送ることも多かった。そのため往時は、この「あの世での住居」は、実際に人が住めるものであるべきとされた。
そしてその人が亡くなると、故人が住んでいた「あの世での住居」が燃やされる。この「あの世での住居」を焼くことで、あの世に渡った故人のもとに届くとされた。なお補足すると、アイヌ民族、特に伝統的な生活を長く続けた人々の間では、ごく近年になるまで火葬は行われなかった。
この風習はアイヌだけでなく中国にも存在した
このしきたりは戦後も続き、現実社会を反映したものが「あの世での生活」の準備のために用意されることもあった。例えば、体が不自由になったため、移動には自動車での送迎が必須であった故人のために、車の模型が準備され燃やされたケースもある。更には、現代でも時々、実際に人が住むことはほぼ不可能なほど小さなサイズではあるが、この「あの世での住居」を故人のために準備するケースもあるという。
この、「故人があの世で必要とするものの模型を焼くと、故人のもとに本物となって届く」という信仰といえば、似たような伝統的しきたりが、中国にも存在する。これは清朝時代に盛んになり、大規模なものとしては、一軒の豪華な邸宅の模型もあったという。この種の「あの世での住居」を、中国では「冥宅」という。この極めて大規模な冥宅は、焼く前にお披露目式も行われ、現代でいうところの大衆紙記事にも取り上げられるほどであった。
中国から言い伝えられた可能性がある
実は近世のアイヌ民族と清朝文化には、興味深い接点がある。近世、アイヌ民族は中国北方の民族と交易していた(「山丹交易」という)。その交易により、中国北方民族を経由して、アイヌ民族、更には現代の道南にあった松前藩には、清朝の貴人が着用した衣装が伝わった。これを「蝦夷錦」と呼んだ。この「蝦夷錦」の他に、「冥宅」の風習も、清朝から伝わった可能性は皆無ではないだろう。
参考文献:(4)北海道の家族と人の一生、 清朝絵師 呉友如の事件帖