「墓相」という言葉を、お聞きになったりしたことがおありだろうか。
これは簡潔にいうと、墓にも「良い相の墓(吉相墓)」と、「悪い相の墓(凶相墓)」があるとする考え方である。これは「墓相学」と呼ばれ、幾つかの流派がある。
そして「墓相学」では、「吉相墓」は故人の子孫に繁栄をもたらすが、「凶相墓」は没落・災難や滅びをもたらす、といわれている。
墓相学は一種の霊感商法?
結論からいうと、この「墓相学」は、一種の霊感商法というべきである。
特に高齢になったり病気を持ったりなど、様々にせっぱつまった状況で「終活」をされている方は、そうした「せっぱつまった」心情につけ込む、この種の霊感商法に注意が必要である。
まず、多くの「墓相学」の専門家が自説の根拠とする、「歴史的・宗教的背景」の多くが、極めていかがわしいものである。様々な歴史的資料や教典、あるいは民俗学や文化人類学の研究などから、都合の良い部分だけをつぎはぎした、いわば「取って付けた上に、更に取って付けたもの」や、教典の内容や史実を、自説に都合の良いように解釈したりしたものが、大変多い。
従って、そうした「根拠」や、それに基づく「墓相学」理論はえてして破綻しやすく、例えば同一著者によって書かれた1冊の本の中でも、しばしば矛盾点が出ていることがある。
墓相学の様々な矛盾点
例えばある例では、墓石がずれると、縁者が困窮するとする一方、墓石のずれを防ぐために固定すると、病気を招くといわれているという。この説では、結局墓石はずれてもずれなくても、「凶相墓」だということになってしまう。
またある本には、遺骨を自然に還すために骨壺に納めず納骨するのは、母胎回帰した死者を母胎から放り出すことになるので、良くない、とする説が書かれている。しかし一方同書には、山への散骨は、日本人古来の山中他界観を継承するものであり、故人への供養がきちんと行われれば悪くない、とするようなくだりもある。とかく「墓相学」には、この種の矛盾が、よく出てくる。
そして、「墓相学」では、より古い時代の歴史や信仰を、自説の根拠や権威の拠り所とする傾向が強い。中には、単なる一般的な人情に言及する場合でも、わざわざ遠い過去の歴史的人物の例を挙げるなど、ある意味涙ぐましい努力をしている「墓相学」専門家もいる。
歴史があさい墓相学
しかしながら、「墓相学」の歴史は案外浅い。明治半ばに起こった新興宗教「福田海」の教祖であった中山(多田)通幽が、活動の一環として始めたのが、そもそものルーツであるという。(なお江戸後期の19世紀初めに、国学者高田与清が「墓相」に関する書物を著しているが、彼の説は現在の「墓相学」とは断絶している。)
しかし、「墓相学」の先達というべき、中山や高田の業績について言及する「墓相学」専門家はほとんどいないということも、補足しておきたい。
そして更にいうと、この「墓相学」が「日の目を見た」状態になったのは、実は昭和30年代以降である。逆に言えば、それ以前には「墓相学」は、どちらかというと「そっぽを向かれた」状況だったということである。
また、「墓相学」専門家の中には、歴史的人物が戦死や暗殺による死を遂げたり、あるいは権力の座を追われたことなどを、「凶相墓」と結び付けて語る方もいるが、これも結局、こじつけの域を出るものとはいいがたい。
参考文献 墓相 よい墓のたて方・まつり方、 お骨のゆくえ 火葬大国ニッポンの技術