都内の板橋区の安養院というお寺では、毎年、定期的にお寺の本堂を使ってイベントを開催しています。
そのとてもユニークな発想の持ち主である住職の平井和成さんにお話を伺って来ました。
「毎年、定期的にこちらのお寺では様々なイベントを開催されているとお聞きしたのですが」
平井和成さん
「毎年、イベントやライブなどを開催していますが、実際には不定期で年に数回の開催となっています。法要以外で皆さんに本堂にお集まりいただくことを動機として、コンサートを中心としたイベントの開催を考案しました。
最初はクラシックのコンサートが中心だったのですが、回数を重ねるうちにジャズや民族音楽などのコンサートも開催しています。
今年は演劇と音楽のコラボレーションの創作劇を上演しました。下北沢の劇団に特別に脚本を創作していただき、舞踊では銀河を連想させ、音楽はやはりその演劇に見合った音楽を実際に演奏してもらいました。
仏教と星の関係を表現するための創作劇です」
「イベントの指針になっていることは他にも有りますか?」
平井和成さん
「お寺は死んだ人だけのためにあるのではなく、生きている人のためにも存在していると言う事です。
人は亡くなっても、そこはシームレス、つまり継ぎ目は無いと言う事です。人が亡くなったとしても、その人に変わりはありません。そして御霊はお寺にいらっしゃる訳です。そのお寺へ生きている皆さんが会いにいらっしゃると言う事です。声は聞くことが出来なくても、心の声を聞くことが出来ます。私はお寺をそういう場所にしたいと考えています。
そして、心の声が聞こえるようになるには、生きている人が個々人で感性を磨いていかなければならないと思います。そのためにも、お寺には美しい自然の環境が用意されており、お寺に来て美しい自然の風景に触れた方が墓地に行き、御霊と会話をすることが出来るようになる訳です。また、現代の人々は感じることが減ってきた、つまり感受性も弱くなったと思っています」
「確かに情報の伝達手段は多岐に渡り、便利な世の中にはなったと思いますが」
平井和成さん
「これは般若心経の中でも説いていることなのですが、眼・耳・鼻・舌・身・意と言って人間にとって重要なことは、眼で見て、耳で聞いて、鼻で匂いを嗅ぎ、舌で味わい、そして身体で感じる。この五つを意識がコントロールしています。そして、五感を磨くことが人間には重要です。
しかし、その後にあるのが第六感と言われるものであり、人が美しいものを美しいと感じる感性にも繋がるのです。そして、そう言った素晴らしい物を自然に吸収出来る人は、自分にストレスがあっても、それに耐えることが出来る。つまり本当の意味で強い人になることが出来ます。それは耐えることであると考えていますが、耐える力を持っていられれば、生きる力も持っていられると思っています。
音楽や演劇、また美しい自然に触れることで様々な良い物を蓄えている人は、たとえ絶望的なことが起きても、その蓄えを消費することによって、決して絶望すること無く生きていけると言う事です。また可能性としては、失敗を恐れずにまずは実行してみることも大切だと思います。
どんな芸術にしても考えるだけなら誰にでも出来ます。自分が伝えたいことを実際に具象化することこそが大切なのです。そして、人との繋がり、人との触れ合い、つまり人との縁を上手く活かしていくことも重要です。また、お寺というものは私の作品であると思っています」
「こちらのお寺は歴史のある古いお寺ですね」
平井和成さん
「750年前から続いているお寺です。私たちが生きているのはその間の一瞬ですが、お寺とはこれまでの長い年月をずっと積み重ねてきたものなのです。つまり、歴史と言う事です。
時間や歴史が作品からは忘れられていることが往々にしてありますが、私は歴史の一部を引き継いでいるのです。そして歴史とは縁であり、繋がりです。人は繋がることで生きてきたし、歴史を築いて来ましたし、技術を磨いて来た訳です。それは今後も不変であると言う事です」
コンサートをお寺の本堂を使って開催するというユニークなお話を伺うだけでなく、私自身もとても勉強になるお話を伺う事が出来ました。