「水子」について、どのような認識をもたれているだろうか?
よく聞く言葉としては、「水子供養をしないと祟られる」や、「水子の霊が憑りつく」など、どちらかと言えばあまり良い言葉で使われるイメージが個人的にはないように思う。
「水子」という言葉には、どうしても流産や中絶などの言葉が連想されてしまうので、タブーな話題として触れられることが少ないのではないだろうか。
初めての妊娠で、初期に流産
経済的な理由から中絶を選択せざる得なかった人、残念ながら自然流産で胎児を亡くしてしまった人、それぞれ色々な事情があり、「水子供養」を経験された方もいるだろう。
筆者の場合は、妊娠初期の段階で、残念ながら自然流産してしまった。詳しく省くが、初めてのことだったので、すごく戸惑った。
ごく身内にしかまだ話していなかったが、自分の親や何より夫がすごく喜んでくれていたのに、だめだったと報告することが、申し訳なく、辛かった。もちろん、誰に非がある訳でもなく、誰を責めるようなことはない。ただ、確かにお腹の中に授かっていた小さな命がもうそこにいないという事実に、ポッカリと心に空洞ができたようなそんな気がした。
自分の心に区切りをつけるため「水子供養」をすることに
それからもふとした瞬間に、もし、今無事にお腹の中で育っていたら、今頃◯ヶ月目だろうか?と、考えてしまうことが多々あり、「いつまでもこの状態ではダメだ!と、自分の中で区切りをつけるために、「水子供養」をすることを決意。
正直、妊娠初期の段階での流産だったので、「水子供養」のことはあまり考えていなかった。というより、しばらくなにもする気が起きなかったのが本音で、エコー写真も引き出しに閉まったまま、なるべく目に触れないようにしていた。
信頼できる寺院を選択
ネットなどで色々調べるうちに、私と同じような経験をされた方の記事を読むと、「水子供養」をおこなっているのは、ほとんどが寺院だということ。
またお布施などは、事前に料金を調べて、信頼できる寺院を見つけることなどが書かれていたので、そのアドバイスどおりに信頼できそうな寺院で「水子供養」をしていただくことにした。
その寺院は、HPにも供養料も明確に提示されており、また法要当日の持ち物や、手順説明なども丁寧に記載されていたのもそこの寺院を選択したポイントだった。
気持ちに整理をつけることも大事!
「水子供養」を終えたその後は、心安らかな気持ちでいられるようになった。
やはり、ひとつのケジメとして、きちんと弔うことができたのが、本当に良かったと、心から思っている。
人を弔う気持ちには、亡くなった人を想うことだけではなく、そうすることで自分の気持ちにも整理をつけることが大事なことだと、改めて実感することができた。