家族葬は今や東京では6~8割を占めています。この葬式が簡略化していく傾向を現役のお坊さんはどう考えているのでしょうか。そこで今回は、数々のメディアに取り上げられている「坊主BAR」に務めている、現役のお坊さんに取材を申し込み、話を聞いてきました。ちなみに坊主BARは現役のお坊さんがお酒を出し、共に語らってくれることで有名なバーです。開店直後の19時に伺うと、この日は禅宗の僧侶2名がお店にいました。何でもこのお店は特定宗派の方だけでなく様々な宗派の方が働いているとのこと。BARではありましたが、筆者はお酒ではなく、ジンジャエールを注文してお話を聞くことにしました。
質問1:「家族葬や直葬の増加をどうお考えですか?」
「そういった葬儀が増えるのは分かる気がします。色々原因はあるのでしょうが、私個人は人間関係の希薄さが葬儀に出てきているではないかと思います。
昔はお葬式と言えば地域の住民がみんな集まっていましたが、今は親兄弟でも別々に暮らしている方が多いですし、アパートのお隣同士ですらお互いを知らないことも多いです。
つまりある人がお亡くなりになったという事実が、本当に身近な人以外は他人事になってしまう社会なので、そういった関係性の希薄さが葬儀の簡略化に反映されているのではないかと思います。」
質問2:「家族葬や直葬ではお坊さんを呼ばないケースもありますが、そもそも葬儀においてお坊さんが果たしている役割は何だと考えていますか?」
「私たちは葬儀が主たる仕事です。それは慣例と捉えられることが多いのですが、長年で培った洗練された儀式として執り行っています。儀式をしっかりやることで、亡くなられた方やご遺族の心の痛みを乗り越える一つのきっかけになるわけです。遺族の方には悲しみを乗り越える場や直面する場が必要です。お葬式ではお通夜・納棺・出棺などその都度悲しみのピークがやってくるわけですが、それを乗り越えていく厳粛な場を作ることが重要なのだと思います。宗旨的には、亡くなったらお坊さんになって修行してもらいますということで儀式化されていますが、グリーフケアにとっては儀式の内容よりも荘厳さが重要なのかなと思います」
つまりお坊さんを呼ばないという選択をしたら、その分自分たちで悲しみを乗り越えるきっかけを作らなければいけないということなのでしょう。こちらの僧侶はアカデミックな雰囲気のある物腰の柔らかい方でした。何というか人気の大学教授の話を聞くのに近い印象を覚えました。
ここで坊主BARのオーナーである田口弘願さんが登場
ここで坊主BARのオーナーである浄土真宗大谷派僧侶・田口弘願さんがいらっしゃいました。田口さんはこのお店で毎日法話をなさっているそうです。ここからは田口さんに隣に座って頂き、色々お話を伺いました。
質問3:「お葬式では仏教に信仰がない人もお坊さんを呼びますが、そのことをどうお考えですか?」
「本当に仏教の葬儀を必要としている方の下へ、坊さんは行くべきなんだよね。例えばさ、キリスト教徒でもないのに牧師さんが来て聖書読むのはおかしいじゃない。それがおかしいのに、仏法を信心してないのに坊さんが来てお経を読むことを誰も変に思わないのはどうしてだろう、と。そういう問題提起を僕はしたことあるんだけどね。だから本当にお坊さんを呼ばなきゃいけないんですか、という問い直しが必要だと思う。で、それをお寺がやらないのは(お布施が)減るんじゃないかと(笑)そういう心配があるんだよね」
続きは後編で。