信仰宗教や宗派によってはなかったりするかもしれないが、大概は遺影を作るだろう。
生前に作っておくケースもあるようだが、一般的には過去のスナップ写真を利用するだろう。
最近はデジタル加工で、汚れを取るだけではなく、服装や背景を変えたりもできるようだ。作り方も写真加工の専門に頼むだけではなく、葬儀のオプションについていることも多いだろう。
母親は、自分の死後、自分の遺影は父と一緒の額に一枚で収まりたいと言った
実際、父が亡くなった時がそうだった。佐渡の夫婦岩が背景の、とびきりの笑顔の遺影だが、いろいろと葬儀の手配をしていた時、遺影用の写真が何かないかと聞かれて家にある写真をあさって見つけたものだ。
母方の兄弟で行った時の団体写真だから、もちろん元は一人で写っていたものではない。隣には母が立っていたし、背景も遺影のようにうまく岩と岩の間だったわけではない。葬儀社の方でスナップ写真を加工してそのように作ってくれたのだ。
後年の父はあまり笑わなくなっていたので、その満面の笑みを浮かべた遺影は母がいたく気に入り、もし自分が死んだらこの写真と組み合わせた遺影を作ってほしいと私に頼んできた。
しかし既に作った父の遺影を作りなおして、母と一枚にするのも気が引けた…
ところで我が家には、父方の祖父母と赤ん坊のころに病気で亡くなった兄と父の遺影がある。
祖父母は空襲で亡くなったため夫婦で写っている写真なのだが、普通は故人のみの写真になるだろう。
その3枚で壁いっぱいになってしまっているため、もう1枚飾る余裕が実はないのだ。父母を1枚にしてしまえばその心配はなくなるのだが、祖父母のような事情でもなければ夫婦そろっての遺影というのも何となく奇妙な気がした。母の希望は叶えたくもあったが、さりとて作り直すのも変ではないかと思っていた。
ふと見つけた「遺影は作り直していいのだ」で、目からうろこな気分に
だが、何気なしにネットで調べたら、とある写真館で「遺影は作り直していいのだ」という文面を見つけた。
急な話だからそうそういい遺影は出来上がらない。だから取り急ぎ証明写真のような遺影を作り、あとからきちんとしたものを作ればいいのだと。
正に眼からうろこだった。それならば近年の写真でとりいそぎの遺影を作っておき、あとから希望通り夫婦での遺影を作ればいいではないか。笑顔の両親が写った遺影に見守られたら、私も幸せな気持ちになるだろう。
いつかその日が来たら、ぜひともその写真館に頼もうと思った。