つい先日のこと。近所の商店街にある花屋に立ち寄ったのだが、店内には、なんと商品の花がほとんどなかった。
お盆やお彼岸のシーズンに売れ残るバラやアザミ
店主の話によると、例年なら、ピークであるお盆を過ぎると品薄状態も落ち着き、残暑でどんどん花が開いてしまうため出荷量が増えるそうだが、今年はこの天候不順で、市場には固い蕾ばかり。中国・韓国からの安い輸入品すら、あまり入荷しないそうだ。
実はそんなこの時期に、バラだけは、比較的価格も量も安定しているとのこと。何故なら、トゲのある花は仏花として適さないからだ。バラと同様、アザミなども相応しくない。
供花としてNGな花とは?!
では、他に供花としてNGな花はあるのだろうか?
基本的に、毒素のあるもの、香りの強いものは避けるべきだと言われている。
毒のある花と言えば、彼岸花。まさにお彼岸の季節の代表のような花だが、中枢神経を麻痺させ、最悪の場合死に至ることもある、危険な植物だ。
スズランや水仙の毒性も有名だ。水仙の致死量は、たったの10gである。
多数の品種があり園芸植物として一般的なキョウチクトウも、強い毒があり、その毒性は周辺の土壌にまで及ぶ。長崎県佐世保市では、キョウチクトウを市の花とした時期もあったが、その毒性から指定を取り消されたそうだ。
色にもマナーがある。一般的に仏花は、白・紫・黄の三色を基調とする。亡くなって間もない期間、通常四十九日の頃までは白一色が良い、などという説もある。また赤い色は、哀しみの花としては避けるべき、という考えが一般的だ。
そして本数は3・5・7本など奇数を対として、ひし形に形を整える。
供花は、お参りする人に向けて生ける
お供えの花は、お参りをする人間の側を正面に生ける。なぜだろうか。
実は仏花は、仏様やご本尊のために捧げるのではない。
花は、いずれ朽ちるものとして命の儚さや尊さを教え、また自然界の厳しさの中を堪え忍んで咲く姿から私たちの仏に対する修行の誓いとして、生きている人間の学びのために、仏前に生けるのだそうだ。
そういった意味では、近頃よく見かけるお墓用の造花は、あまり相応しいとは言えないかもしれない。生花は枯れたり腐ったりで、供えたままにすることを禁止する墓地もある。なかなか足蹴くお参りに通うことができない場合、少しでも明るく綺麗にしたいという思いから、せめて造花を飾りたい気持ちは大変良く分かる。しかし、枯れてこそ花。それならば、お花を供えて手を合わせてから、帰る際に持ち帰り、自宅で大事にその美しさを楽しむのも良いかもしれない。
最後に…
「このまま雨が続いたら、お彼岸のお花が確保できないよ。」と、花屋の店主はぼやいていた。
近年増えたコンビニやスーパー、ホームセンターなどで売られる花は、通常の仕入れルートとは異なるため、競りに出る商品が品薄となり、一般の花屋が必要量を仕入れることが難しくなったのだそうだ。
園芸業界も、受難の時期だ。私も、花のある生活とその意味について、改めて考えさせられた。