送骨(そうこつ)というものがあるらしい。
これは宅配便で遺骨をお寺におくり、永代供養をお願いするというものである。
お寺がNPO法人「終の棲家なき遺骨を救う会」とともに始めた新たな葬送のサービスだそうで、お墓が遠方にある、身寄りがない、費用がないなどの理由で利用する人がいるらしい。
あるお寺では今までに、送骨により送られてきた40柱の遺骨を供養してきたそうだ。そこでは3万円で供養を行っているそうである。
「仕方なく」利用者を増やすだろう送骨
東京都内には現在推定100万柱の終の棲家なき遺骨が存在するらしい。
送骨に対しては賛否両論あるようだが、賛成派の中には「身寄りがないのであれば仕方がないのでは」との理由で賛成する声が上がっているようなので、おそらく今後送骨は「仕方なく」利用者を増やしていくのではないだろうか。
近年、供養できずに10年、20年と遺骨を自宅に置いているうちにどうしてよいか分からなくなってしまっている遺族が増加しているようである。
遺骨を自宅に置いて夜逃げしたり商業施設の外に設置されたトイレに遺骨を捨てたりしてニュースになった事件もあるようだ。本来供養してくれるはずの家族の手で遺棄されるくらいなら送骨されたほうが、故人はよっぽどまともな扱いを受けていると思われる。
自宅付近に3万円程度で供養してくれるお寺があれば、問題の多くは解決する
送骨に対しては、遺骨を宅配するという点に難色を示し、遺骨はモノなのか人なのかという点を考える向きもあるようだが、問題は遺骨を宅配するという行為ではなく、安い料金で供養を受け付けてくれるお寺が少ないことではないだろうか。
送骨でなくとも3万円で供養が可能になったら散骨(5万円程度~)するより安い。遺族の自宅付近に3万円で供養してくれるお寺があれば、遺族が直接遺骨を持ち込むはずである。安い料金で供養してくれるお寺が増えることで、「費用がないので供養できない」という遺族は減りそうなものだ。
供養をすることが大切
料金を安くしても、「身体的な理由で遺族が直接遺骨をお寺まで運べず送骨する」、「故人に身寄りがないので送骨される」などの案件は減らないと思われるが、どのような理由で送骨されても送られる先はお寺である。ここは思い切って「単に遺骨の移動手段を宅配にするだけ」と考えればよいのではないだろうか。故人の遺骨が然るべき扱いを受けるための送骨である。
ちなみに「供養をすることが大切であり、その形にはあまりこだわる必要がないと思う」という意見もあるようだ。確かに供養の形を考えてみても、先述したような事件を知ってしまうと、遺族の手で公衆トイレや自宅に遺棄されるなら宅配業者の手でお寺へ届けられるほうが良いのではないだろうかと考えてしまう。先述の事件は2件とも、恐らくはきちんとした形で供養をしないといけないと考えていた、つまり供養の形に固執したために起こってしまったのではないか。きちんと供養をしたかったができなかった末の遺棄なのではないだろうか。
形式に拘らず、どう捉えるかが重要
赤ちゃんポストが設置されている病院があるが、これは乳幼児が親から捨てられてしまうことを防ぐのに一役買っていると思われる。乳幼児にとり良くない場所に置いていかれるよりは病院の赤ちゃんポストに置いていかれるほうがましである。
それとは多少違うとは思うが、遺骨の遺棄を防ぐための送骨があってもよいと考える。供養に困っている遺族のために、送骨というものをもっと宣伝したほうがよいのではないだろうか。良い方法があっても知らなければ実行できない。「一般的な形で供養できないが、他にどうしたら良いか分からず遺骨を遺棄」ではなく「一般的な形で供養できないので送骨して供養してもらった」という方が、故人にも遺族にも救いがあると思う。
近年、これまではきちんとした形でできて当たり前であったことが、様々な原因で不可能になることが増えているように感じる。その一方で、ラフな形になっても解決のための様々な手段が考案されている。そういう意味では、解決の方法が常に示されている社会になりつつあるといえるのではないだろうか。