以前、温泉旅行に出かけた時のこと。
宿泊先での部屋着として身に纏ったのは、備え付けの浴衣であった。普段浴衣然り、和装などする習慣のない私は少々浴衣を着るのに戸惑った。
何にそんなに戸惑ったのかというと、それは「左前」か「右前」かという浴衣の合わせ方であった。
どうして左前が死装束?
うっすらと覚えがあったような「左前が死装束としての着方」という曖昧な記憶のおかげで、右前でいいのか、はたまた間違っているのかと猜疑心にオロオロとした後に、確信が持てずに一緒に来ていた友人に尋ねる羽目になってしまったのであった。
皆さんも上で述べたような筆者に似た経験はないだろうか。今やお祭りや式典、そして筆者のように旅先での室内着としてなど、一種のイベント着のようになってしまい、めっきり洋装文化に慣れてしまっている私たち日本人には、和装は縁遠い物になりつつあるようである。それ故、このような浴衣の着方一つで悩まなければならないのである。(単純に私に常識が欠けていただけではあるが)そもそも何故「左前に合わせるのが死装束」なのか、素朴な疑問に触れていこうと思う。
右手が懐に入りやすいから!
何故「左前」なのか。それにはいくつか諸説がある。
奈良時代の「衣服令」の名残という説。これは右前に着ることを義務付けられ、亡くなると左前に着せるようにという当時の正式な律令からくるものである。
またはお釈迦様が入滅する時に、着物を左前に合わせていたという説。更に右前が常態なので「この世」、左前はその反対で「あの世」を表しているという説もある。史実や絵画に基づくものや、宗教的な考えに結びつくものまで、「左前に合わせるのが死装束」という概念は実に様々な理由から現在の一常識へと成り立っていったわけである。
いくつかのそれらしい説を上に述べたが、筆者が最も納得のいった理由は「右手が懐に入りやすい」説であった。どういう訳かと言うと、日本人の多くは右利きであり、まだ和装が全盛であった時代の人々は右の懐に財布やちり紙などを入れていたそうな。それらが取り出し易いのが、いわゆる常態である「右前」だという。なるほど、確かに筆者も右利きであるし、右の懐からスラスラと財布を取り出す自分の姿を容易に想像できる。つまり、その反対の着方を死装束としよう、という説である。様々な理由の中にあって、日常での動作によるものだと納得しないわけにはいかないのである。
浴衣を着る時には気をつけて!
一般的に仏式での死装束は真っ白の和装であり、私はこれを改めて見た時、お遍路廻りの旅人のようだと感じた覚えがある。この世を去り、冥界に旅立つのであるから強ち間違いではなさそうである。近年ではそのような一種の旅装束をエンディングドレスと呼ぶ物も登場している。終活・エンディングノート・エンディングドレス。ただ厳かに行われていた今までのお葬式とは少し違い、亡くなる本人がその日を迎えるまでに旅立ちの準備を行うことができる。死人に着せる衣服ではなく、旅人に着せる衣服といった方が相応しいのかもしれない。
イベント着と述べたように、これから夏に向けて浴衣などの和装をするイベントが増えていく。「右」か「左」かという二択は至極単純だが、その単純さゆえに間違え易いもの。何気なく着ていたその浴衣、もしかしたら「左前」になっていないだろうか。