最近はめっきり暑くなり、空を見上げると雲一つない青空が広がっています。
どこまでも続く晴天を仰いでいると、ふと、このくらいの時期に亡くなった祖父のことを思い出します。
様々な宗教がごちゃごちゃに混ざり合った、私達の天国というイメージ
幼かった私は祖父の火葬に際して、なかなか柩から泣いて離れなかったと聞いています。そんな私を母は、祖父は天国へ行くだけだと、説得したと言います。
しかし今更ながら、この「天国」について考えてみると、日本人ならではのちゃんぽんのような「天国観」が根底にあるように感じます。そこで今回は、我々が普段考える「天国」のイメージについて、再考しようと思います。
天国のイメージがスタートしたのは仏教
まず、「天国」のイメージは直接的に宗教と深くつながっています。
この場合、日本で最も信徒の多い宗教は、言わずもがな仏教です。そこで仏教における天国はどのようなイメージを持っているのでしょうか。一般には、天国は「極楽浄土」、「三千世界」と表現され、この世の最西方に位置すると考えられています。「西遊記」という小説において、三蔵法師が西へ西へと旅を行ったこともこのイメージとつながっています。
次に神道の考えに沿っていった天国
しかし、古代日本では死者を直接西の方角へ送るような作法は存在していません。江戸時代まで日本で最も多かった「土葬」は、仏教というより先祖信仰や神道のような、故人が亡くなった後に一族を守る霊的な存在になる考え方を反映させたものと言えます。したがって、近世までの時点では、頭では天国は西方にあると理解しながらも、先住の土地や親族に加護を乞うべく、神道の考えにに近い土葬を行っていたと考えられます。
明治以降はキリスト教や一神教の考え方が浸透
さて、時代は変わり、明治以降になると天国の考え方や、埋葬法は一転します。天国については、西洋文化が流入し、キリスト教や一神教に見られるような天上に存在する楽園というイメージが、文学などを通して浸透しました。同時に、埋葬法も効率的な都市計画の観点から火葬が急激に増加しました。この時、火葬の際の煙が登っていく先を天国とする考え方が、前述のキリスト教的天国観と合わさったと見ることが出来るかもしれません。その一つの手がかりとして、今でも仏教の道具である線香の煙を、天国への道標として考える見方に、その一端を垣間見ることができます。つまり、現代まで続く天国観は、明治期以降に形成されたが、そのちゃんぽんのような考え方は、日本の古来から存在する神仏習合のような思考方法の中で練られていたものと考えられます。
ちゃんぽんな日本人の天国観
ここまで、日本の天国観の形成について簡単にまとめました。現代では宗教の考え方を巡って世界で争いが絶えません。一方で、天国観に見られる折衷に寛容な考え方は、宗教的な寛容さにもつながっているのではないでしょうか。お仏壇に手を合わせる際には、一度自分が思う天国がどこにあるのか考えてみてはどうでしょう。