もう20年ほど前の話ですが、北海道で出稼ぎに出ていた外国人労働者の方が、自宅で自殺を図り亡くなりました。
身寄りのない彼は死後、市役所が主催する公葬によって荼毘に付され、集団埋葬されました。
しかし、このことが後に問題となったのです。
その外国人の方はムスリム(イスラーム教徒)であり、イスラームの教えでは、火葬は良くないものとされていたのです。
自分の死後をどうしてもらうか、これは生前から考えておくべきでしょう
この問題には、単に宗教とお葬式という面だけでなく、近親者のあてがない方がいかに自分の葬儀などの死後の予定を、相手に伝えるかという側面からのメッセージが横たわっています。
昨今、孤独死で亡くなる方が増えていますが、私たち自身が将来そのような境遇に置かれた場合に、どのような準備ができるのでしょうか。
「遺言書」と「エンディングノート」
この問いに対する、1つの単純な答えが「遺言書」です。
高齢化社会が進展する現代日本では、「遺言書=遺産相続の証明書」という認識が強まりつつあります。
確かに遺産相続の問題は現実性の強い問題として看過できない一方で、本来の遺言書の意味を置き去りにしてしまっているのでないでしょうか。
遺言書は「言葉を遺す書」と書き、字義通り後に残る家族や親しい方々に対する故人のメッセージが、本来主眼としておかれていたものです。最近は、こうした面を今一度再認識するために、「エンディングノート」が1つの方法として紹介されています。
また、遺言書作成については民法の相続法に関する規定で、様々な形式やルールに基づいて作成ように定められています。しかしこの他にも「付言事項」として、自分の思いなどを綴ることが可能とされています。「宗教上の理由で、火葬は避けてください」や「身寄りはいないが、代々○○寺にお世話になっているので、遺骨はそこに届けてください」などといったメッセージを残すことができます。
ドナーカードも1つの意思表示。これもいわゆる「終活」といえるでしょう。
ここまで読んでいただいていた方は少しお気づきでしょうが、この考え方は「ドナーカード」によく似ています。
生前のうちに臓器提供についての意思表示を行うように、独身のまま高齢化して孤独死することが少なくない時代には、生前のうちに自分の死後の予定について、明確な意思表示を行うべきなのではないでしょうか。
これがいわゆる「終活」という行動に結びつきます。
逆算することの重要性
以上、遺言状は遺産相続に関するだけでなく、ドナーカードのように生前のうちに自分が死んだらどのようにして欲しいか、を表示する効果もあるということをお伝えしました。
もちろん、遺言書に書いたからといって、自動的にすべてが実現されるわけでなく、お金の問題などが関わってきます。しかし、今流行りの「終活」を何から始めるべきかという疑問に直面した際に、遺言書にどう自分の死後について書こうかと考えることで、具体的な方向性ややるべきことを逆算して見つけられるできると考えられます。