近年、社会では神主や住職の跡取り問題や数の減少が一定周期で思い出したかのように伝えられています。今から4年前のNHKクローズアップ現代でも「岐路に立つお寺~問われる宗教の役割~」というテーマで取り上げられました。
この後すぐに東日本大震災が発生したために、長い間この問題に触れられなくなっていましたが、最近、私の耳にこの問題をさらに身近に体感する話が舞い込んできました。
今回はこのエピソードを中心に普段はあまり考えない「住職のいないお寺」について考えてみます。
お寺の後継者問題
ある日私のもとに友人が訪ねてきて、一つの相談をしました。
それは、彼の実家は東北にあるお寺を代々営んでいましたが、跡取りが見つからず遠戚の友人のところまでその話が持ち上がってきて悩んでいる内容でした。彼が悩む原因をまとめると以下の3点になります。
今更地方に戻る気はない、自分一人が戻ってお寺を継いでも地方自体が過疎しているからお寺を続けていける見込みがない、とは言ったものの生来の土地の共同体の中心にあるお寺をなくすわけにはいかない、という要旨でした。しかし彼が悩んでいることは、まさに現代のお寺に関する問題の縮図なのです。
ここで「もし彼が継ぐことを拒んだ場合、そのお寺はどうなるのでしょうか」という仮定を立てて考えてみましょう。結論から言えば、住職がいなくてもすぐに廃寺となるわけではありません。ここで注目すべきは以下の3つのポイントです。
僧侶のアウトソーシング
1点目は法要について、住職がいなくても檀家さんからの法要の依頼を断るわけにはいきません。彼らにとってそのお寺は生まれた時からお世話になり、かつ自分の宗派のお寺だからです。そこで登場するのが僧侶のアウトソーシングサービスです。これは様々な寺院に所属する同一宗派の僧侶たちがつくる団体が行う出張サービスです。住職のいないお寺の他にも、葬儀場で見かける僧侶がこのサービスで派遣されています。
寺院墓地の運営難とそれに伴う檀家減少と経営難
2点目は寺院墓地について、住職がいなくなれば今まで住職の日常業務を支えていた家族などの関係者が次第に減少します。したがって、お寺の裏にある墓地の毎日の手入れや定期的な供養が難しくなります。この問題は単に人的資本の不足だけでなく、後述する檀家関係が変化するために寺院収入が安定せず、細々とした供養のために出張僧侶を用意できないという財政不足もかかわっています。
檀家との信頼関係の崩壊
3点目は檀家関係について、お寺を取り巻く檀家にとって、住職のいないお寺ほど頼りないものはありません。お寺は自分のたちの共同体の要です。彼らの間には法要のみを媒介とする単なる契約関係だけではなく、先祖代々土着した互いの信頼関係がそのほとんどを占めています。住職の不在はこうした積年の信頼関係を揺るがす事態となります。ニュースでは主にこの点が大きく取り上げられています。
宗派にこだわらずまずは最寄りのお寺に出掛けてみてはどうでしょうか?
こうした現状について当事者たるお寺も傍観しているわけでなく、生き残るべく様々な策を講じています。では、反対に我々にできることはなんなのか。それは地方に帰るだとか、お布施をもっと出すだとかという単純な主張にとどまるべきではありません。そこには我々に関わる宗教への理解が欠乏しています。飲食サービスと同列に考えるにはお寺の我々の生活において果たしている役割は大きすぎます。したがって少しずつお寺との接触を増やしてみてはどうでしょうか。それは自分の宗派に限りません。お寺のなかには定期的な法話や写経、座禅体験会を開催しているものも多くあります。お出かけ気分で今一度、自分に関わる宗教に接してみてはどうでしょうか。