昨今の日本で家族葬という形態が年々増加しつつあるのは、ご承知の通りだと思います。この現象は伝統的な葬儀の観念から見ると、葬儀に要する平均費用の減少や葬儀内容の多様化など、脱形式葬儀の流れの過渡期にあると捉えることができます。このように日々変容を遂げるお葬式イメージを我々はどう受けとめ、いざ自分にとって身近なものになった際にどう表現するのかという問題に、今回は同じく葬儀の現代化に悩むある国の事情も視野に入れながら考えてきたいと思います。
韓国の葬儀問題とは?
葬儀の現代化に悩む国というのは、お隣の国『韓国』です。
韓国のお葬式といってまずイメージするのは、「泣き女」という職業が深く関わっているという事実です。この「泣く女」については少し昔にテレビ番組などに、一種の高収入お葬式ビジネスとして紹介されていました。しかし、韓国のお葬式は単にこの職業の仕事に代表されるような悲しみだけを前面に強調した内容ではありません。もともと韓国は儒教精神の強い国であり、そこでは家族、先祖という血縁共同体による結びつきが強く表れてきます。したがって韓国のお葬式も一族みんな集まって故人にとっての一世一代のイベントとなるように大規模に催すという面では、日本のお葬式と相違ないと考えられます。
病院葬って?!
さて、日本と葬儀の伝統的観念を同じくする韓国ですが、昨今この国が抱える「お葬式の小規模化」という問題も奇妙なことに、日本と同じといえるでしょう。
代表的な例が「病院葬」です。日本の病院では慰安室というのは遺族と故人が面会を果たすのみでしか機能を持っていませんが、韓国ではその場で葬儀を執り行うことが増えているというのが現状です。このように韓国でも伝統的葬儀観念が変容しつつあることが見て取れることは、現在の日本が抱える葬儀問題が特異的なものでなく、一般的な因果関係が存在するということを示唆しています。ではどこにその因果が存在し、われわれはその因果の先の何を見つめるべきか、以下で見ていくことにしましょう。
都市化によって増えてきた病院葬
日本と韓国とに共通する原因として「都市化」が最たるものとして挙げられます。両国には数十年の差こそあれ、都市化は一般に「核家族化」と「伝統的生活圏からの移動」をもたらしました。しかし、これだけでは「葬儀の小規模化」という結果を結びつけるのに十分ではありません。そこで、葬儀観念の大前提として我々の葬儀観と生活観がリンクしているということが不可欠です。つまり我々にとっては、伝統的生活圏から離れたことでそれまでの葬儀に必要な伝統的な知識を失い、核家族化したことで土地の面でも費用の面でも縮小化せざるを得なくなったといえます。
日本でも韓国でも葬儀に対する思いは変わらない
しかし、重要なことは伝統的な葬儀の形式が変容しようとも、故人を偲ぶ思いというのは時代を通して容易に変化しないことです。したがって、従来までは立派な葬儀設備、大勢の参列者という表現で故人への思いを伝えようとしてきましたが、脱形式しつつある現代の葬儀では如何に中身を通して思いを表現するのか、という方向にシフトしつつあります。その一例が葬儀の多様化です。人によって様々な故人への思いを何とかして具現化しようと葬儀に関わる企業は日々試行錯誤を続けています。
以上から今後の我々が身に迫る葬儀に向けて準備できることはなにか。それは、思いを形にする努力ではないでしょうか。手紙や絵画、故人が好きだったもののアレンジ創作など、形式面で今や十分な思いを表現できない以上、残された我々の内に秘めたる思いを素直に表現する努力を日々のうちに行っておくべきではないのでしょうか。