年末年始になると、たまに目にするのが、喪中のお知らせ。このごろは、facebookなどSNS上でお知らせやごあいさつをされる方も増えてきたようです。わたしも、この年末年始でいくつか読ませていただきました。読むうちにふと疑問がわきました。
「喪中」って仏教が由来?
書いている方たちは、無宗教だったり、キリスト教だったり、まちまちでしたが、しかしみなさん「喪中」の文章を発信されていました。
はて、「喪中」は「宗教」とは関係ないものなのでしょうか?
わたしはすっかり「仏教」の一部だと思っていました。どうしてかというと、いまの日本の葬儀は特別に宗教を信仰していなければ、形式上は仏教のような形をとっていることが多いからです。なので、「喪中」もまた仏教からくるものだと思い込んでいました。本当のところはどうなのか、調べてみることにしました。
まず「喪中」とは?
家族など親しく近しい人が亡くなったとき、その死を悼み、普段の行動をいろいろ慎んだりすることを「喪に服する」「服喪」と言います。これは一定期間行われますが、その期間中が「喪中」となります。これはわたしが認識している通りでした。
あとひとつ付け加えると、日本では、人が亡くなると「忌中」という期間もあります。「忌中」と「喪中」。そういえば、両方目にしたり、聞いたりしますが、その違いは知りませんでした。
実はそのふたつ、ぜんぜん意味合いが違って、おそらく出自もちがうようなのですが、亡くなってから一つの流れで進められていくようなのです。
亡くなった方との近しさでその長さは違うようなのですが、一般的に、父母の場合は亡くなってから49日間を「忌中」、その後1周忌までを「喪中」とするそうです。これは明治時代に出された法令がもとになっているようです。現代では、決まっているというわけではなく、一般的にはそうなっている、という感覚で行われているようです。
「忌中」と「喪中の違いは?
さて、「忌中」と「喪中」のそれぞれの意味合いですが、「忌中」は「死は穢れ」ととらえ、その期間殺生せず、神社にも参拝には行かない、という期間です。この「死=穢れ」の考え方は、日本古来の宗教「神道」から来るものです。しかし神道ではこの期間は50日間。すると49日とは、どこから来たのでしょう?これはどうやら「仏教」から来ているようです。なんだかごちゃまぜですね。
つぎに「喪中」ですが、これは冒頭で説明したとおり、亡くなった方の死を悼み、喪服を着用し、行動を慎む期間です。現代では、喪服を着用と言うのは、お葬式以外は法事のときだけでしょうか。行動を慎むのも、年賀状や神棚の装飾、お正月の装飾を控える位ですよね。
この「死を悼む」という考え方、実は仏教でもなく、さきほどの神道でもないのです。
なにから来ているかと言うと、それは「儒教」なのでした。
なんと3つの思想の併せ技だった「忌中」と「喪中」
これは江戸時代にごちゃまぜにされたらしく、きっちり親族の区分けとそれぞれの期間日程が決められたのが明治時代なんだそうです。
現代では、その考え方は一部残っていて、「死を悼む」という意味合いで行っている方がほとんではないかと思われます。
最終的に、この「喪中」という風習ですが、「宗教」ではなく、もはや「日本人」としての死との向き合い方なのではないかと思ったのでした。