現代の日本の葬儀での服装は、基本的に黒一色になっている。ところが、黒い喪服が日本全体に普及したのはそれほど古い時代のことではない。
千年以上に渡って喪服の色は白かった
「日本書紀」や「隋書(倭国伝)」などの記述を見ると、古代のわが国での葬儀では、故人の親族も参列者も白い喪服を着用するのが通例だったことがわかる。
ちなみに平安時代後期に、宮中の貴族は墨染めの喪服を着用するよう喪葬礼によって定められたことがあるが、これが一般人にまで浸透することはなかった。
つまり千年以上にわたって、日本人には白い喪服こそ主流だったのだ。
喪服の色に白が選ばれた理由とは
古来、東アジアでは、儒教思想から白を清浄・清純な色の象徴として人生の節目に用いてきた。今でも赤ん坊の産着や花嫁衣装、死に装束などに白を使っている。白を新生や再生の象徴として扱う習慣が、まだ生活の一部に残っていることがわかる。
実際に戦前の日本の葬儀では、喪主は白の裃(かみしも)で、女性は白い綿帽子を着用するという方式が広く行われていた。
暑い夏には薄水色の麻の喪服を身につけたり、幼い女児を振り袖で着飾らせるなど、季節への配慮や地方色も豊かに表現され、現代のそれから比べるとかなりヴァリエーションが多かったのも特徴である。
喪服の色が白から黒へと変わったきっかけとは
喪服の色の伝統が大きく変わることになるのは、明治維新で欧米列強の文化に接するようになってきてからのことだ。
明治30年に皇室の葬儀に列席した欧米諸国の賓客たちは、ヨーロッパ王室式の黒い喪服を揃って着用していた。これを見た明治政府首脳部は、日本人の参列者にも黒い喪服をしつらえさせたのである。
このときをきっかけに、華族をはじめとする上流階級の人々の間で、黒を国際標準の喪服の色として認識する気風が広まり、大正期には、宮中参内での喪服は「黒を基調とする」と皇室令に明記されるようになった。
宮中に参内する機会などない一般の人々は、それでもなお葬儀には白い喪服を着用しつづけていた。
一般の人々が黒い喪服を着用するになったきっかけとは
しかし、歴史の流れは日本を第二次大戦の惨禍に巻き込んでいく。戦没者の葬儀が立て続けに執り行われるのが、日常の光景として当たり前のことになってしまっただ。
白い喪服は非常に汚れやすいものだ。連日のように葬儀がある時代には、次第に取り扱いにくい厄介なものとみなされるようになったのは当然のなりゆきだった。やがて葬儀の数がピークに達した大戦集結直後に、大手の喪服専門貸衣装屋が、汚れの目立たない黒の喪服に全ての衣装を統一してしまうという思い切った手段を講じることになる。
日本が連合国の占領下で欧米の影響が強かったこともあり、この「黒い喪服」はまたたく間に広く世間に行き渡っていった。以来、わが国の喪服は黒が基本とされて今に至るわけである。
今でも白い喪服を着る人はいる
実は現代でも白い喪服を着る方はいる。2012年、歌舞伎俳優の中村勘三郎氏の本葬に際して、妻の好江さんが着た喪服は純白のものだった。
「貞女二夫にまみえず」という言葉がある。貞淑な妻は一度添い遂げた夫が死んでも再婚することはないという意味だが、あるいはそんな決意をあらわすために、あえて白い喪服を着用なさったのかもしれない。
わが国では今、葬儀の個性化・自由化が進行しつつある。喪服が黒基調で占められている現状にも、変化の気運が訪れることがあるかもしれない。なぜなら、好江さんのように、喪服もまた、故人への追悼のメッセージのひとつであることは間違いないのだから。