相撲を見るのが好きです。お気に入りの力士も何名かいるのですが、土俵上での塩撒きが美しくかつ豪快に決まるのは、強くて人気のある力士が多いような気がします。大きな力士の指先から、真っ白な塩粒の数々が流麗な放物線を描いて放たれていく様子を見ていると、力強さと潔さを感じます。
相撲でお塩をまくのはどうして?
相撲は日本古来の原始的な格闘技で、それが天皇家に取り上げられて宮中での余興として定期的に行われるようになり、やがて農作物の出来高を占う国家行事となり、その後の侍の世では武術の一環として奨励され、庶民にも愛されてきたという、長い歴史のある国技です。
相撲協会のホームページによると、塩を撒くのは、土俵の邪気を祓い清め、神に祈る意味があるのだそうです。
葬儀のお清めの塩は?
ところで、葬儀では、会葬礼状にお清め塩の小袋が同封されていることが多いですね。
お清め塩は、宗派に関係なく配布されることが多いように思います。仏教の宗派によっては「死=けがれではないので清めの塩は不要」という解釈のところもあるようですが、塩が同封されるのは、宗教的な行為というより、相撲の塩撒きに近いしきたりからではないでしょうか。
葬式から帰ってきて真っ黒な喪服で家に入る前に、パーッと撒きたく思ってしまう何かを、塩がパワーとして潜在的に持っていると思います。塩の白く四角い結晶に、カチッとした潔さを感じるのは筆者だけではないはずです。飲食店の入り口に、円錐形のきれいな盛り塩がされていると、美味しそうな店、良さそうな店だなという漠然とした印象を抱くのと根は同じなのかもしれません。
「塩対応」と「塩を踏む」、「傷口に塩」などなど
苦労して一人前になることを「塩を踏む」「塩をなめる」というそうです。「傷口に塩」とか「青菜に塩」ということわざもありますね。塩は、刺激的で染みるものなのです。
そういえば、最近「塩対応」ということばをネットなどでよく目にします。芸能人のファンに対する〝しょっぱい″対応、つまり、冷淡でサービスが少ないことを意味する造語だそうです。塩を撒かれてしまうのは、この場合、歓待を期待して無遠慮に近づいていったファンの方というふうに読み取れますね。塩の味が口の中に蘇るような、おもしろい言い回しです。
結界を超えて近づいてくる者には塩を!ということなのでしょう。日本に古来より伝わる塩パワーを示す今どきの表現だと思います。
塩分はさじ加減が大事!
塩というのは、我々が健康に生きる上で欠かせないもので、塩を取らないとめまいやふらつきが生じ、脱水症状に陥ってしまいます。その一方で、塩分の取り過ぎは、成人病、生活習慣病の元凶として危険視されています。我々にとって、塩は多すぎも少なすぎもいけない――まさに、さじ加減が大事ということなのでしょう。
会葬礼状に添付されるお清め塩も、小パックでかなり控えめです。個人的には力士のように豪快にいってみたい気もするのですが、マンション暮らしではそうもいきませんね。