フランスに旅行に行くと、田舎の小さな街にも一番目立つのが教会である。街の中心に建てられ、その街のシンボルとなっているように見えた。どれも造りが味わい深く重厚な趣であり、中に入ればタイルやステンドグラスなど静粛な中に優美がある。古きものを大切にするフランスらしい風景だと感じた。また教会から時を告げる鐘の音を耳にすると「あぁヨーロッパに来たんだなぁ」と実感するのだ。フランスはキリスト教でもカトリックが多数を占めており、「教会の長女」といわれている。また、国教をキリスト教とした最初の国でもあり、多くの聖人を輩出してきた。
教会でのミサとは何か
日本でしか暮らした事のない私は、フランスでの生活はミサのために教会に通い、神父の教えを聞き、聖歌をみんなで歌うイメージを勝手に持っている。そもそもミサとは何なのか。
カトリック教会においてミサとは、キリストの死と復活を記念とした祭儀である。レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」の様子が、ミサの起源である。ミサで行われる主たる事は、キリストの言葉として「聖書」が朗読される。毎日曜日,全世界の教会で読まれる箇所が決まっているようだ。
次に、キリストが最後の晩餐で弟子に唱えた様子が再現され、パンとぶどう酒が捧げされ祈りが唱えられる。パンはキリストの体(聖体と呼ばれる)とされ、ぶどう酒はキリストの血とされている。そしてミサに参加したカトリックの洗礼を受けた信者にパンを拝領する。(聖体拝領と呼ばれる)
フランスでの宗教・教会離れ
聞くところによるとフランスでは宗教離れが深刻化しているそうだ。日曜日の教会のミサに参加する人が激減しており、それは世界で見ても特に目立っている。今から始まった事ではなく1950年代から目立ちはじまたようだが、週に1回教会のミサに参加する割合は2000年代になると5%以下とのこと。
またミサに行く割合が多いのが高齢者で、若年層はほとんど行かないそうだ。将来、教会が寄付を得られなくなりだんだんと廃墟化していく可能性があると言える。教会離れに従って、カトリック教に属していない無宗教派が年々増えているようだ。特に若者の半数以上が無宗教だと答えている。また、神までも否定する無神論と唱える人も激増しているようだ。
無宗教とは
海外の人から「何の宗教に属していますか?」と聞かれる事が度々ある。日本では聞き慣れない質問のため、私は「とりあえず仏教です。」と答える。仏教徒として日頃何か努めている訳でもないが、葬儀は仏式であるし、除夜の鐘を聞いて歳を越すので、何となく私は仏教徒とだろうと簡単な気持ちで考える。
日本で仏教に関しては暮らしの一部として何気なく存在し、溶け込んでいるところがある。例えば食べる際に「いただきます。」と言うなど。しかし、フランスでのキリスト教は信仰がない場合においては宗教が生活に交わる事なく、無宗教、もしくは無神論という神までも否定する考えに至るのかと。
パリ、ノートルダム寺院の火災から
2019年4月に起きたフランス、パリのシンボル的存在であるノートルダム寺院の火災。テレビのニュースで沈痛な面持ちで鎮火を見守っていたフランスの人々を見て、私も胸がしめつけられる思いであった。歴史を刻んできたノートルダム寺院火災は、宗教を超えて多くの人に衝撃と悲嘆をもたらしたであろう。ノートルダム寺院の火災い対する再建寄付金は多くの額を集めた。
宗教離れと言いつつも歴史を刻んできた教会がある風景がないと想像すると寂しい事であるとフランスの街を見て思う。と、同時に日本でも寺の維持が大変であるのは同じ事である。若年層になればなるほど宗教への意識から離れているのは世界各国共通の問題かもしれない。これから人々はどう宗教に向きあっていけばいいのか、日本だけの問題ではない事を知った。