日本仏教は「穢れ」とされた死体を弔った中世の僧侶たちによって「葬式仏教」として展開していった。その仏教と葬儀の関係について明治以降、僧侶に依らない先祖供養を重視した「在家主義仏教」という特異な形態が誕生した。
元々日本仏教は在家主義、在家仏教と言ってよい形態であるが、ここで言う「在家主義仏教」とは、従来の在家仏教と日本古来の"先祖供養"の融和によるものである。
仏教の基本は「出家」。そして「出家」を支援し功徳を得たのが「在家」
仏教の基本は「出家」にある。悟りを開き解脱するために、俗世の全てを捨てて僧となることから始まる。しかしそれができる者は余程の覚悟を持った者だけだ。そこで出家はできないが救いを求める「在家」の信者が生まれる。在家者は出家者に布施をすることで功徳を得るとされた。出家者の生活を支援する者も必要でありお互いが補完しうる関係になる。これは釈迦の時代から存在した仏教の伝統である。この意味では日本も変わらない。
やがて在家した者たちの集まりが生まれる
やがて「講」と呼ばれる、ある信仰を共有する者たちの集まりが生まれる。在家者たちは出家者を囲み法話を聞いたり、相談をしたり、座禅などの行を学ぶ。ここでは出家者の在家者に対する指導者な役割が明確で、緩やかながらも上下関係が存在する。浄土真宗では「法座」と呼ばれるこうした集まりでは、「善知識」と呼ばれる出家者がその教えを伝授する。これを「聞法(もんぽう)」といい、真宗では非常に重視される。
しかし、それはあくまで出家者を中心とし、教えを受ける場であり、あえて「在家主義」というほどに在家者のものとはいえない。そうした中、近代に誕生したいわゆる「新宗教」の中に、在家者のみで構成される「在家主義仏教」という形態が出現する。その嚆矢として西田無学の思想がある。
在家仏教と先祖供養の融和を説いた西田無学
西田無学(1850~1918)は、現在、日本に数多く存在する法華経系教団「霊友会」系教団の基本的思想を構築した人物で、法華経による在家仏教と先祖供養の融和を説いた(西田自身は霊友会とは無関係)。
西田が生きた明治~大正は西洋文化が持ち込まれ科学技術などによる劇的なまでの発達を遂げた。反面、道徳の退廃や社会の混乱も引き起こしていると西田は指摘し、この状況を打開するには“先祖供養”以外にないと説く。
なぜ先祖供養なのか。西田はその根拠を法華経に依る。法華経の第二十章「常不軽菩薩品」には常不軽菩薩なる人物が登場し、人を見つける度にその人に「私はあなたを軽んじません」と言いながら礼拝したという。「常不軽」とはこれに由来する。その理由は、すべての人間には仏になれる「仏性」が具わっており、すべての人間は仏であり、礼拝する対象になるからである。
常不軽菩薩は、実は彼に見下されているのではないかと疑う人達から迫害を受ける。それでも菩薩は「あなたたちは必ず仏になることができます。私はあなた方を深く敬います」と言い続けた。
先祖供養の重要性を説いた西田無学
西田はこの考えを先祖供養と結びつけた。日本の祖霊信仰では先祖は祖霊となって子孫を見守る存在になるとされるが、「仏性」があるからこそ祖霊になれるのである。その祖霊が今、我々が生きているルーツである。
全てのことには原因があるというのが仏教の基本だ。自分という存在、人格の形成に親兄弟の存在は欠かせない。その親はまたその親の、その親はさらにその親へとつながり、ルーツは先祖ということになる。
自分がいまあるのは先祖のおかげであり、先祖を敬い尊ぶのは当然のことだ。西田はその先祖を他人である僧侶に任せてはいけない、自分たち、つまり在家者自ら供養するべきであると説く。社会の荒廃はそうした根本的な事から正されるとした。
西田無学の思想は没後に広まった
西田の思想は生前にはさほど広まらなかったが没後、影響を受けた新宗教・霊友会の宗祖・久保角太郎(1892~1944)により広められた。霊友会からは何人もの個性的な宗教的指導者が生まれ、それぞれの道を歩んでいった。現在、立正佼成会など、霊友会系教団は有力な新宗教教団のかなりの割合を占めている。
この教団は日蓮が所依の経典とした法華経を根本経典に置いているため、“日蓮宗系"と混同されるが、最大の違いは"祖先信仰"、 "先祖供養" という発想にある。戦後日本の宗教界を席巻したのは、"祖先信仰"、"先祖供養"であった。
在家主義の新たなる展開~地域コミュニティ~
「自分たちでやる」在家主義の活動は、先祖供養の枠を超え、既存の寺社の檀家、氏子とは異なる独自の共同体を形成していく。それは既存仏教のように僧侶や先達を師として崇め指導されるのではなく、参加者全員が平等の立場で仏法を学ぶ場である。
霊友会系とは別系統だが、法華系在家主義団体といえる創価学会には「座談会」という集まりがある。新宗教では最大勢力を誇る創価学会は各市町村に拠点を置くが、座談会はさらにそこから細分化された、町内会規模の勉強会である。例えば学会員が転居をした場合、その近所の座談会に誘われることになる。
一方、既存の伝統仏教はというと
これと比較すると既存の伝統仏教は基本的に寺から動くことはない。こちらから出向いて参拝し、法話や座禅の会などの催しに参加するものである。しかし縁の無い人にとっては敷居が高く感じるものだ。筆者がある寺に参拝しようとした時、寺では早朝の勤行を行っていたが、門の周りに人が集まっていた。部外者が入ってよいものか迷っていたのだ。
仏教などの宗教に救いを求める人が寺や教会に足を運べるとは限らない。一人暮らしで身体も思うように動かせない老人や、ひきこもりなどで、家から一歩も出られない人もいる。
そういう人たちは概して孤独で、人とのつながりも薄くなっていることが多い。近年の孤独死、キレる老人などの問題などは、人とのつながり、絆が絶たれていることに大きな原因があると思われる。
先祖供養におけるルーツ、つながり、絆を旨とし、地域に根差した共同体、地域コミュニティを提供してくれる在家主義の活動は、これから注目されてもよいのではないかと筆者は考えている。
(一方で、新宗教の抱えるカルト化、霊感商法などの諸問題も無視できるものではない)。
先祖供養と共同体の可能性
西田が危機感を抱いた社会の荒廃はそのまま現代社会にも通じる問題だ。核家族が当たり前となり、先祖から続く家族のつながり、絆が希薄となっている現代は、孤独死、無縁社会などの問題を生み出している。
こうした中でいま急がれるのは、社会的には地域コミュニティの形成であり、精神的には「つながり」「絆」の見直しである。その両方に応える可能性を、在家主義仏教の先祖供養思想と共同体活動は秘めている。