亡くなるときは「自然死」、という形を理想的に思う人は多いのではないでしょうか? 高齢者で、心筋梗塞など死因となりそうな病気が見当たらず、死亡した場合を老衰といいますが、これが一般的に自然死となります。我々は自分の意思ではなく自然に生まれる出てくることを考えると、人為的な原因や病気や事故によってではなく、「死ぬ時も自然の成り行きに身を任せるように死にたい」、そんな感覚を持つのも不思議ではないでしょう。私達が「芽吹き、育ち、そして枯れてゆく草花の姿」に感動するのは、「自ら何もしようとせず、純粋に自然の流れに身をゆだねている」という姿勢に美しさを感じるからではないでしょうか。それほど「自然体でいる」ことは意味があることなのです。
人の場合も、老衰死の瞬間は悪いものではないようです。徐々に食欲がなくなり、脳内にモルヒネのような物質が分泌され、夢うつつの気持ちいい状態に陥り、眠るように最期を迎えるのだそうです。また死に際になると飲食をしなくなり、そして一週間から十日で死亡するのですが、死に際の人は飲食しないことで死ぬのではなく、死が近くなると飲食する気がなくなるようにできているのが、自然のしくみなのだといいます。
自然死・老衰と延命治療
しかしその瞬間を邪魔するのが、臨終間際の点滴や酸素吸入などの延命治療、といえます。この延命治療を望むのは家族の場合が多いようです。一日でも長生きして欲しい、という気持ちは当然でしょうが、本人はそのようなことは望まず、無理やり苦しんで、人為的に生き長らえさせられるよりは、運命に身を任せて自然の成り行きでこのまま死にたい、と思う場合が多いのではないでしょうか。老衰の過程は気持ちがいい状態になる、というのも、自然体でいることの重要性を示しているのかもしれません。
今では延命治療に否定的な医師の本が話題を呼び、延命治療に反対する人達が増えているそうで、理想的な死を迎えられる人も多くなっているのではないでしょうか。
そんな自然死に近い状態を生きながら体験できるのが、断食です。
断食の効果と生死体験
体験者によると、最初の2日目・3日目あたりが一番苦しいそうで、それを過ぎるとあまり空腹感を感じなくなるそうです。そして6日目以降には、高揚感が全身にみなぎるようになり、それを過ぎると、体内に何も入れていないので体のだるさを感じながらも、逆に魔物がとれたような全身の軽さも感じるのだそうです。また人間が本来持っていた野性の感覚に戻るような不思議な感じがして、五感が研ぎ澄まされ感覚が鋭敏になるようです。さらにアルファ波のような、リラックス状態の脳波が出るようになり、これは医学的には変性意識状態と呼ばれ、修行僧が座禅をしている状態に近いものなのだそうです。一般人でもそのような状態を経験できる断食は素晴らしいと感想を持つ体験者が多いようです。
断食が精神的な変容をもたらすことは昔から知られているようで、多くの宗教の修行の一つに取り入れられています。イスラム教徒の義務のひとつ、飲食を絶つ、ラマダンは有名ですし、日本における仏教では、真言宗の開祖空海は、断食の成果を認め、信者のための断食堂を設けたといわれています。瞑想を続けて絶命し、そのままミイラ化したものを即身仏といいます。ミイラの姿だけを見ると哀れな印象があるかもしれませんが、修行者の中には「自然のもたらしてくれる喜び」を感じながら、精神的な高みに達し亡くなっていった人達も多いのかもしれません。
最後に・・・
もしかしたら、普段当たり前に生きている気持ちでは感じられないような、"本質的な生の体験"は、"死"を前にした時にこそ初めて知ることができるのかもしれません。そう考えると、この大事な"死"の瞬間をどれだけ本人に意識がはっきりした状態、で体験してあげられるかは、重要なことでしょう。臨終間際の延命治療で無理して生きようとすると苦しむことになり、断食などで健康的に生きていながら死を味わおうとすると恍惚とした素晴らしい体験ができる、とは皮肉なものです。