お葬式やお通夜に出席すると、帰り際にかならず渡される「塩」。帰宅時、家に入る前に身体にふるという。しかしいったい何のために?
じつはつい先日、知人のお通夜に行ってきました。すごく親しかったわけでもないのですが、でも、一時期足しげく通ったゲイバーのママ(と言っても、見た目はただのオジサン)で、通ってる間はだいぶよくしてもらったものでした。
人間致死率100%というのは認識しているものの、それにしても早すぎる彼の死。かの織田信長が提唱した50年という人間の寿命にさえも一年足らずという年齢でした。この時代においてはもはや30年近くのビハインド。
やりきれない思いで向かった先の葬儀場には、たくさんの弔問客がいました。
人気ゲイバーを経営していたので、そのなかにはテレビで見たような顔もちらほら見られました。遺影は、ゲイバーのママらしく、両手の人差し指をほおにあてた、愛敬たっぷりのもの。彼らしい素敵な一枚でした。
わたしはご焼香をあげてすぐに会場をあとにしました。その際に受け取ったのは、礼状と、それに添えられた茶葉と塩。お通夜やお葬式に参列するとだいたいいただきます。しかし、わたしはどうしても塩をふるということが受け入れられませんでした。友人知人が亡くなったことを忌み事とはしたくない、という思いからです。
塩を清浄のために使うのは神道のようです
しかし、塩の意味とは本当にそういうことなのか?今回のことを機に、すこし調べてみることにしました。
塩を清浄のために使うのは神道のようで、人が亡くなることを穢れたことと位置付けるのもまた神道なのだそうです。なので、お葬式などのあとに塩をかけることは、神道から由来するそうです。逆に仏教では死は穢れではないので、それを清める必要はないそうです。
やはりそれだけだったんだ。もしかすると、清めの塩が、亡くなった方への何か”気遣い”のようなものがあるのかもしれないとすこし想像していました。たしかに、信心している方からしたらそれはそれだけのものではないですし、必ずしなければならない儀式なのです。しかし、無宗教のわたしとしては、そこまでしなければならないものではないとわかったことが収穫でした。
死者と接した人間を塩で消毒=病気の伝播の予防
しかしこれは、わたしのまったくの想像ですが...。
神道が育まれたその時代。人が亡くなることは、伝染病の始まりだったり、飢饉の結果だったり。死はその次の死を呼ぶ穢れ物という位置づけとなっていったのでしょう。そんななか殺菌や、食物の保存に威力を発揮した塩。人が亡くなった時に、伝染しないように、と盲信して塩をまいたのではないか、と想像するに難くありません。たしかに家に入る前に死者と接した人間を塩で消毒=病気の伝播の予防となっていたのかもしれません。
そのように考えると、迷信とくくるのもまた少し違うような気がしています。塩がもしかするとデング熱を防いだかもしれない。さすがにそれはないでしょうか。しかし、あのときは必要だったのかもしれません。
今回の結果、わたしとしては、今後は塩を気にせず帰宅しようと思いました。