関西学院大学の藤井美和教授による、男子30名、女子72名、平均年齢20.7歳の大学生が抱く「死」のイメージに関する分析(2003年)によると、現実的な死を避けられないもの、人生の終焉と捉える一方、たましいや死後の世界といったものにも目を向けている。また自分自身にとって、死は漠然とした未知な孤独なものであり、好きなことができなくなるものである。また他者との関わりにおいては、永遠の別れであると捉えていることが明らかになった。
視座によって変わる死生観
この結果から藤井は、「死観は、その視点の置き方によって異なる構成概念が導き出されると考えられる…(略)…死の捉え方は、現実的側面と死後の霊的側面とをもち、一人称の立場においては未知で孤独であり、二人称の立場においては別れである…(略)…そして死を迎える際、最も表現された構成要素は死に対する様々な感情だった」と考察している。この調査分析では、ペットなどの「小さな命」の死については触れられていなかったが、果たして我々はその死をどう捉えるのだろうか。
社会問題化している多頭飼育崩壊
6月12日に1歳になった上野動物園のパンダ、シャンシャン。そしてロシアのフィギュアスケート選手、アリーナ・ザギドワ選手に贈られた秋田県のマサル。ネット上に、我が家の自慢のペットの画像・動画をアップロードする多くの人々…確かに「動物嫌い」の人は少なくないが、多くの人々は巷のかわいらしい動物との関わりの中で、癒しを得ていることは間違いない。しかし、「かわいい我が子!」「手放したくない!」「自分の分身!」という気持ちが昂じ、昨今では「多頭飼育崩壊(Animal Boarding)」と呼ばれる深刻な社会問題を引き起こしてもいる。
多頭飼育崩壊とは?
例えば日本における猫の「多頭飼育崩壊」は、20匹以上いること、糞尿で室内が荒れていることなどが目安となる。そして、飼育不可能な数の動物を集めてしまう人は「アニマル・ホーダー」と呼ばれる。
「多頭飼育崩壊」が起こるのは、主に核家族化と、地域のつながりが希薄な都市生活の中で、孤独に陥った独り暮らしの人が動物に過度に依存してしまうこと。更に、最初は牡牝1匹ずつだったはずが、不妊・去勢手術をしない限り、「ねずみ算」式に増えてしまうことから、エサ代や病院代がかさんでしまう。その結果、経済的困窮に陥ってしまい、なすすべなく放置してしまうためであるという。このような「アニマル・ホーダー」の中には、部屋中が汚物まみれ、ハエやウジ虫が湧いている。場合によっては猫の死骸が放置されたままの格好となり、ひどい悪臭が漂っている。こうした状況の改善を訴える近隣住民を避ける形で自分は別のところに住み、1日に1回、エサだけを与えて、そのまま立ち去ってしまう人も少なくないという。
伊東静雄の詩 「自然に、充分自然に」
「かわいがっている」「愛おしい」はずのペットを、結果的には「虐待」していることにもなってしまっている「多頭飼育崩壊」とは異なるが、人は時に、「小さな生き物」に残酷な仕打ちをしてしまう場合もある。
詩人の伊東静雄(1906〜1952)が1936(昭和11)年につくった詩がある。
「自然に、充分自然に」
草むらに子供は踠(もが)く小鳥を見つけた。
子供はのがしはしなかった。
けれど何か瀕死に傷ついた小鳥の方でも
はげしくその手の指に噛みついた。
子供はハット(原文のまま)その愛撫を裏切られて
小鳥を力まかせに投げつけた。
小鳥は奇妙に強く空を蹴り
翻り自然にかたへの枝をえらんだ。
自然に?左様 充分自然に!
−やがて子供は見たのであった。
礫(こいし)のやうにそれが地上に落ちるのを
そこに小鳥はらくらくと仰(あふむ)けにね転んだ。
この詩が作られた当時の日本は第二次世界大戦前夜
この詩は伊東が30歳の時につくったもので、後に『詩集夏花』(1940)に収められることになるものである。リアルタイムの「少年」ではなく、自分自身、または「少年」が持つ繊細さや傷つきやすさ、そして残酷さを、年を経て描いたものである。
ちなみに1936年といえば、第二次世界大戦前夜。陸軍の青年将校が「昭和維新」を掲げ、「決起」したクーデター事件である二・二六事件が勃発。東京市(当時)に戒厳令が敷かれるなど、国全体に不穏で暗い空気が漂っていた。またこの作品は、伊東がプロの詩人として生きていた中でつくったものではなかった。伊東は京都大学を卒業した後、中学校の教員として仕事を続けていた中、26歳の時に、「自然の反省が表現であり、それが詩だ」という「詩精神」に目覚め、詩作に没頭することになった。しかし父親が残した借金返済のために、伊東は長らく教職を続けざるを得ず、詩ひとすじで生きることは叶わなかったのだ。
多くの尊い命が犠牲となった第二次世界大戦
また、「自然に…」以外の、『夏花』に収められた詩の大半は、妻・花子が長女を出産した後、腹膜炎で長く病に臥せっていたことから、共稼ぎであった花子の病後を慮って引っ越した、大阪府堺市の耳原古墳近くで書いたものだった。引っ越し後すぐに、第二次世界大戦が勃発した。後に伊東は当時を振り返り、「坂下の大道路を幾日も大軍団が通るのを眺めた…(略)…又、近くにある陸軍の病院には、ひつきりなし(原文のまま)に、傷病兵が、バスで運ばれた。私は毎日のやうに子供をつれて路傍に立ち、敬礼した。家にじつと坐つてゐても、胸がはあはあと息づき、強く、我慢出来ず興奮したりした。そんななかで、わたしの書く詩は、依然として、花や鳥の詩になるのであつた」と書き記している。伊東が「自然に…」の中で描いた「少年」の振る舞いは、当時の日本の暗鬱さに加え、伊東自身の将来が見えない閉塞感。愛する「詩作」に裏切られる不安感、挫折感に傷つく前の自己防衛的意識が濃厚にあふれている。事実、ナチスドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まった1939(昭和14)年9月1日の日記の中で伊東は、「自分の詩の発想法はゆきづまつてゐる。いやゆきづまつてゐるといふより、ゆきづまつたところからやつとしぼり出されるやうな詩である…(略)…家庭はいやだ。しかし家庭を離れてひとりで生きれる(原文のまま)自信も亦ない。日光つよく、後頭部いたみ、めまひを覚える。いくぶんの吐気と」と自分の本心を正直に吐露していたのだ。しかしそれと同時に、ここで描かれた、「小鳥」の側の無謀とも言える「反撃」、または「自爆行為」は、何があっても、たとえ死ぬことがあったとしても、詩を書くという自分の信念を貫いてみせるという強い意志が色濃く反映していると見てもいいだろう。
詩の中の小鳥と少年の立場
いずれにせよこの詩の中の少年と小鳥は、互いに「自立」している。しかも、厳しく残酷な「現実」から目を背けてもいない。それまでの人生のうまくいかなさ、生きづらさ、やり切れなさの連続によって、アニマル・ホーダーに到るまでの、「かわいらしい動物」への過剰な依存、そして自分の思いを離れて勝手に、「自然のまま」に増えていった動物たちが置かれた状況から目を背ける「弱さ」は微塵もないのだ。もちろん、人は何かに依存すべきではない!心は強くあるべきだ!と筆者は言うつもりは無いが、自分自身の「弱さ」や、見たくないものを見ずにいる「ごまかし」の心を俯瞰して眺める冷徹さがなければ、到底、「詩人」にはなれないということなのかもしれない。
最後に…
ペットや野生の「小さな命」は言うまでもなく、尊重されねばならない。しかし我々は「多頭飼育崩壊」ではないが、時に自分のエゴ、そして「かわいいんだから、いいじゃない?」「この子たちを私から取り上げないで!」「誰にも迷惑をかけてない!」などと現実逃避することで、結果的にその貴重な命を弄んでしまう場合もある。詩人・伊東静雄のように、「少年」の傷つきやすさから来る残酷な心、それに決してひるむことのない「小鳥」の態度を「自然に、充分自然に」の中で描き切るほどの、自分自身への厳しさ、冷徹さを持つことが逆に、「小さな命」を大事にすることにつながるのではないだろうか。
参考文献・サイト
■桑原武夫・小高根二郎・富士正晴(編)『定本伊東静雄全集』1971年 人文書院
■杉本秀太郎『伊東静雄』1996/2009年 講談社
■溝口章『伊東静雄―詠唱の詩碑』1998年 土曜美術社出版販売
■高橋渡『詩人 その生の軌跡―高村光太郎・釈迢空・浅野晃・伊東静雄・西垣脩』1999年 土曜美術社出版販売
■碓井雄一「『詩集夏花』期の伊東静雄 −<茫漠・脱落>の戦略について」日本文学論集編集委員会(編)『日本文学論集』第23号 1999年(61−69頁)大東文化大学大学院日本文学専攻院生会
■小川由美「伊東静雄 『詩集夏花』論 −萩原朔太郎『氷島』の後継として」ノートルダム清心女子大学日本語日本文学会(編)(133−145頁)2002年 ノートルダム清心女子大学日本語日本文学会
■藤井美和「大学生のもつ『死』のイメージ:テキストマイニングによる分析」関西学院大学社会学部研究会(編)『関西学院大学 社会学部紀要』第95号 2003年(145−155頁)関西学院大学社会学部研究会
■鈴木比佐雄・菊田守・長津功三郎・山田十四尾(編)『鎮魂詩四〇四人集』2010年 コールサック社
■「ネコに家が壊される 〜広がるペット多頭飼育崩壊〜」2016年11月15日「クローズアップ現代」No. 3892 『NHK』
■「【衝撃事件の核心】『膝までの汚物に大量のハエ』猫50匹放置でぬかるみと化した人気市営住宅『多頭飼育崩壊』の悲劇」2017年11月22日『産経WEST』