葬儀の際、葬家となると、とてつもなく忙しい日々を送ることになる。病院や施設で亡くなれば、退院の手続き、葬儀の手配、故人と縁のある人々への連絡など、やらなければならないことが山積である。危篤の知らせを受け、そして臨終の宣告をうけて、ほんのひと時は、悲しみや喪失感に襲われるが、その後は怒涛の時間が過ぎていく。
葬儀で忙しくなることのメリットとは?
大切な人を失うのは、本当に辛い。心がこわれそうに辛い。何もなければ、気持ちが落ちていくばかりだと思う。思いつめて自分も後を追ってしまうかもしれない。
ところが、葬儀を取り仕切るという大事な仕事があるとなると、そういうわけにはいかない。無事に葬儀を終えるまでは、悲しんでいる時間はない。
葬儀も終わり、一段落した頃には、気持ちもある程度は落ち着いており、もちろん悲しく寂しいことではあるが、亡くなった直後よりも幾分おだやかな悲しみになっているように思う。
ペットロスは葬儀がないことによってもたらされる?
葬儀の忙しさがないために、なかなか悲しみから立ち直れないのが、ペットを亡くしたときである。ペットの葬儀も今では当たり前だが、やはり人間の葬儀とは規模が違う。気を張るということがないため、ただただ悲しくつらく寂しい気持ちが続く。
昔、同居していた、祖母が亡くなり、その一年後に飼っていた犬が死んだとき、同僚から「おばあさんが亡くなったときより悲しいでしょう?」と言われ、否定できなかったことが思い出される。肉親を亡くすというのは、ペットを亡くした時より悲しくないなどはありえないのだが、肉親の死に関しては現実問題があまりに多く、悲しいという感情に蓋をしてしまうようだ。
言い訳ではなく、私は祖母のことは大好きだったし、本当に悲しかったのだが、葬儀前後の忙しさによって、悲しみや寂しさを紛らすことができたと思う。
デメリットは?
忙しいゆえのデメリットは、少しおかしな言い方かもしれないが、満足感のあるお別れができないことだろうか。悲しい気持ちが不完全燃焼のまま、お別れのときをむかえるのは、気持ちのどこかで納得できないものがある。
悲しいのに泣く時間も場所もなく、気持ちだけが置き去りにされていく虚しさ・・・。故人のそばに寄り添っていたくても、なかなかその時間さえない。
満足に寄り添う時間もないまま出棺のときをむかえるのは、本当に切ない気持ちになる。その気持ちこそが、葬儀の忙しさのデメリットではないかと思う。