葬儀に参加したことがある人なら一度は目にしたことがあるだろう、茶碗に山の様に盛られた米飯「一杯飯」。故人が愛用していた茶碗にすり切り一杯の米を普段の炊事には使わない釜で炊き上げ盛り付ける。一杯飯の由来は地方様々であり、一番有名なものだと故人を蘇らせる為の儀式だったというもので、その昔高級品であった白米の魅力で死者を呼び戻そうとした。また別の地方では死者は霊場にお参りの旅に出る為その際の弁当として一杯飯を供えるという説もある。更には、死者は霊場にお参りの旅に出る為その際の弁当として一杯飯を供えるという地方もある。
米飯を高く盛り付ける理由
米飯を高く盛り付ける事にも理由がある。
一説によるとお代わりをしてはいけないというものだが、これは葬儀の作法として繰り返す行為は「死者が繰り返し出る」という事に繋がるのでよくない事とされる為である。
箸を突き立てる理由
一杯飯といえば、突き立ててある箸が特徴だが、これも謂れがある。
米飯の魅力に惹かれて戻ってくる故人の為の目印や、この米飯は故人のものであるという印等また様々だ。私が知る中で一番興味深く、面白いと思ったのは線香に見立てて箸を立てるという説だが、信憑性はどうも低い様だ。
子供の頃に母親からマナーについて叱られた思い出は多々あるが、食卓に限って言えば茶碗によそわれた米飯に箸を立てると大目玉をもらったものである。今にして思えばこれは普段の生活から「死」というものを切り離す日本の風習から成るものなのだろう。
枕団子の数は様々
一杯飯の隣に置いてある団子は枕団子(早団子、いっぱい団子とも)といい、合わせて枕飯とも言われる。上新粉で作る白い団子で、三宝や故人が愛用していた皿に積み上げ供えるのだが地方により供える数が様々だ。
その土地の習わしで個数のパターンは複数あるが、少ないところで4個、多いところだと49個にもなる。死=4個、十三仏=13個、四十九日=49個等意味の込められた数が多いが一般的には6個供えるところが多く、その場合は仏教の六道にちなんでいる。
六道とは死して迷いのある者が輪廻する6つの世界の事であり、現世での行いに応じて死後六道のどこに行くかが決まる。それぞれ天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道があり、これらになぞらえて枕団子を6個用意するのである。
枕団子の由来とは
一番有力なものとされている説がある。
釈迦が涅槃に入る際に如来から授かった香飯(香美にして食すれば安穏とされる大変に珍しいもの)を無辺菩薩に献上された際に釈迦が辞退して食さず亡くなった為、死後これを供えた。この香飯が枕団子に変じたという。
また、釈迦が腹を痛めた際に弟子たちが食事をすり潰し団子にして食べやすくしたという説もあるが、釈迦が由来である事に間違いは無さそうだ。
最後に…
宗教や地方により枕飯の事情は変わる。
例えば浄土真宗はこれらを供えない事が多く、また地方によっては枕団子がいっぱい飯の役割を果たす為団子のみ供える事もある。実に様々な風習だ。皆さんの家ではどうだろうか?
余談だが、私の友人の曽祖母は106歳の大往生だったが、葬儀の際、家の習わしで長寿の故人にあやかり枕団子を106個作って供えたという。友人は団子作りを手伝ったそうだが、勝手は大戦争で作り終える頃には腱鞘炎一歩手前であったという。
葬儀を終えた友人の手首から湿布の香りが暫く絶えなかった。