伊藤幸男の小説「野菊の花」を映画化した「野菊のごとき君なりき」を見たことがあります。そこでは、女主人公が嫁ぐ際に、黒い留め袖に角隠し姿だったことに『お嫁さんが白を着ていない!』と驚きました。私の中で昭和後期の花嫁さんは白無垢が常識と刷り込まれていたのでしょう。
明治から昭和にかけて活躍した女流画家 上村松園に『人生の花』という嫁ぐ女性を描いた作品があります。その花嫁もまた黒い振り袖でした。この時代、庶民は黒っぽい着物で嫁ぐのが普通だったのです。そして喪服はというと、なんと白が着られていました。明治から昭和の初期にかけての花嫁衣装と喪服は、現在と全く逆だったのです。
結婚式も葬式もどちらも「ハレの日」
人生の門出の結婚式と、人生最後のお葬式。よく見ると正反対でありながらいろいろな点で似通っているように思えてなりません。
出される食べ物も黒飯と赤飯、色は違うものの豆の入ったおこわですし、お菓子も落雁やまんじゅうなどが出されています。そして両方のお式も昭和の中頃から、自宅で行っていたものが、それ専門の施設を利用するようになっているのです。
時代によって変わっていく結婚式とお葬式、似ているように思われるその共通点は“お式”であることではないでしょうか。めでたい結婚式は当たり前ですが、お葬式も一種の『晴れ』の日だと思うのです。『晴れ』という言葉は「晴れがましい」や「日が当たる」といったプラスのイメージのほかに、「正式」、「公」そして「ひとなか」といった意味も含んでいます。葬式も「正式」なものであり、人がたくさん集まる「ひとなか」の場でもあるのです。
お葬式とは?
私の田舎の人がお葬式でよく口にする言葉に「ジジババの葬式、孫の正月」というのがあります。意味の分からない子供たちは人がたくさん来たことだけではしゃいでいる、そんなイメージがあり10代になったばかりの私はその言葉がとても嫌でした。祖父の葬式の時、それだけは言われまいとずっと神妙にしていたのですが、いとこ達とちょっとしゃべっているだけで親戚のおばあさんから言われてしまい、がっくりしたのを覚えています。
今考えてみると、その言葉の中には次世代が育っている喜びとともに、お葬式もたくさんの人の集う『晴れ』の日だとの思いが込められていたと思います。
最後に…
現在、お葬式は家族葬でひっそりと行い、結婚式は地味婚が流行って身内のみですることが好まれています。 現在の日本は賑やかでとても豊かになり、わざわざ『晴れ』の日を設け、たくさんの人が集ってごちそうを食べる必要がないのかもしれません。また家族の数が少なくなり、規模の大きな葬儀は負担になっているのかもしれません。
有名人では「お別れの会」などを行います。それと同じに一般の人も「町内会葬」「団地葬」などの地域葬や、「サークル葬」や「ボランティア葬」などのような所属している団体でするお葬式を開くのはどうでしょう。何しろお葬式も『晴れ』の日なのです。たくさんでお見送りする習慣がもっともっと増えても良いのではないでしょうか。