かなり前の話になるが、祖父の50回忌に参列したことを思い出す。ちょうど4月の始めくらい、北海道の田舎町には雪が残っていた。桜にはまだ遠い。私たちは礼服に長靴やブーツを履き、コートを羽織ってお寺に向かった。冷えびえとしたお堂に読経の声が響く。やがて退屈した従兄弟たちがおしゃべりを始めた。
「おい、あれすごいな。全部お布施か」
「これがほんとの坊主丸儲けだな」
彼らの視線の先には祭壇があり、上には果物などのお供えと一緒に、白いものが沢山置かれていた。
昔は儲かってるように見えたお寺
確かに、遠目で分かるほどに山と積まれていれば気になる。実際にそれが何だったのかは確認できなかったが、仮にお布施だったとして、どれほどの「儲け」になるのか。そもそもあれはお金だったのか。後に調べてみたものの、仏前に香典はともかく、わざわざ目立つように祭壇にお布施を供える文化は見当たらなかった。田舎坊主の個人的な趣味かと思ったが、単に量が多かっただけかも知れない。
檀家の数が寺に入る収入の生命線。20以下となると年収は100万程度
ところで、お布施はどのように使われているのか。
檀家から受け取ったお布施はそのまま、お寺が所属する宗教法人の収入となる。そこから住職の給料、お寺の光熱費や施設・設備の維持費などが支払われる辺りは一般的な企業とさほど変わらない。法人から給料が支払われる場合は、同時に所得税や住民税などが天引きされるため、住職の給料も「手取り」となる。よく宗教法人は税金がかからないといわれるが、宗教法人法が非課税とするのはあくまで宗教活動にかかるお金に対してである。そのため、住職といえども確定申告に行くし、国民年金や国民健康保険にも加入する必要がある。こういった事情があるため、よほど檀家の多いお寺でない限り「坊主丸儲け」とはいかないようだ。
さらに近年は家族葬や葬儀自体を行わない家庭も増えており、収入自体はもちろん檀家の数も減少傾向にあるという。少し調べたところによると、檀家の数が20を下回ると年収100万ほどにしかならないそうだ。これでは生活すらできないだろう。
兼業坊主も増えている?
そのためか、住職もアルバイトをすることがある。お経をあげるだけなら特別な資格もいらないため、法事やお盆の時期に別のお寺に呼ばれて行くこともあるという。もしかしたら、あの「住職」も実はアルバイトだったのかも知れない。そう考えるとなかなか笑えないものだ。
母方の祖父は昭和36年に鉱山の事故で亡くなったという。あれから50年、祖父の顔を知らない子供たちがさらに子を連れ、親族が大勢集まった賑やかな法事が行われた。鉱山のあった地域はすでに廃墟と化し、会席の真ん中でビールをすすっていた祖母も夫の元へ旅立った。これからますます人はいなくなる。あの田舎坊主はどうなるのか、少し気がかりではある。