生花を用いた装飾で、葬儀の祭壇に彩りを添える「生花祭壇」が、一寸したブームになっている様です。生前に故人が熱中していた事などをモチーフに生花で表現。例えば地域の草野球に熱心だった人ならば、バットやグラウンドを生花の配列や組み合わせで描いたり、クルマ好きであった人ならば、生花のあしらいで祭壇を自動車に見立てるとか・・・。
とまれ、在りし日の故人の姿をしのぶ事が出来、それが遺族の方々に癒しを与えているようです。加えて祭壇を彩った生花は、葬儀が終わった後、花束にして参列者に配るという二次的なサービスも出来るようです。
タブーとされてきたものもじわじわと解禁されてきている
その人らしさを演出できる生花祭壇ですが、なんと、バラやカーネーションなど葬儀にはタブーとされてきた花も、何ら抵抗感なく登場し、夏場にはヒマワリも用いられるとの事。
実はこれ、少し前の読売新聞に出ていた記事の受け売りなんですが、驚いてしまいますよね。葬儀のスタイルも随分と多様化してきたものです。祭壇の飾りつけが、遺族側の趣向で自由に行われる様になったなんて…。
そう言えば少し前の話になりますが、葬儀会社の若手社員が儀式中にバースデーケーキを出したというエピソードがありましたね。葬儀の日と故人の誕生日とが近かったので、サプライズを狙った企画だったと記憶しているのですが、意外にも遺族の方々には結構受けていたとか…。
果たして一過性のものか、あるいはずっと続くのか…
それでは、こうした葬儀スタイルの自由化・多様化の流れは、ずっと続くのか、それとも一過性で終わってしまうのかが気になります。一般に、世の中で一つの運動が展開され、それが主流となっていくには、その根底において説得性のある思想とか考え方の有無がカギだと思います。
確かに、葬儀における主導権が、これまでの僧侶や葬儀会社から一般消費者へと移譲しつつあるのは感じられます。ですが、葬儀に対する意義付けというか、死に対する捉え方には何ら変化は起きていない様に思えます。例えば仏教の言う輪廻の考え方に基づき、「死は次なる生への出発だ。だから葬儀は門出に相応しい儀式にすべきだ」などといった、従来とは一線を画するような考えが定着しているとも思えません。
「葬儀という別れの儀式は、しめやかに行うものだ」との、既成の捉え方も根強く残っていきそう
な中、今後どういった方向に収束していくのか、関心が高まりそうです。