皆さんはルーマニアについてどれほどご存知だろうか?
あの有名な吸血鬼、ドラキュラのモデルとなった15世紀ワラキア公であるヴラド・ツェペシュことヴラド三世が居城を構えていたのは他でもないこのルーマニアである。
ちなみにルーマニアの国教はキリスト教だが、カトリックでもプロテスタントでもない、正教会の一派、ルーマニア正教がもっとも多く信奉されている。これはヨーロッパ圏の中でもロシア寄りだったため、東方正教会の影響が強かったためといわれている。そのため、葬儀ではイコン(聖像)と呼ばれるキリストの絵を持たせ、執り行うことが多いという。
葬儀に振る舞われるパンも少し変わっている
さて、ルーマニアがヴラド三世の生まれ故郷であり、ルーマニア正教会を信奉しているということはわかったが、わざわざこの国を取り上げた理由はなんだろうか。ルーマニアでは棺桶に、アメリカの直方体のキャスケットと呼ばれる形状の物ではなく、ドラキュラの眠る五角形のような形をしたコフィンと呼ばれる棺桶を用いる。だが、これ自体はイギリスでも一部で未だに用いられている物でありそう珍しいものでもない。
ではこの国の葬儀が珍しいとものとは何か。それは葬儀後に会葬者へと振舞われるパンの存在だ。
キリスト教においてパンは切っても切れない存在であることは皆さんもよくご存知であろう。パンはキリストの肉であり、ぶどう酒はキリストの血だという考えはカトリック、プロテスタント、正教会いずれの教派においても共通した考えだ。
だが、ルーマニアで振舞われるこのパンはリング状の変わった形をしている。複雑に入り組んだ立体的な構造、これは十字架がモチーフなのだそうだ。
墓標も他国とは違った趣向
さて、ルーマニアは一般に土葬で葬儀を行う。楽隊の葬送歌に送られ、棺の上には木製の十字架を立て、先述したリング状の十字架パンを会葬者に振舞って――というのが一般的なルーマニアの葬儀だ。ではちょっとここで北部に目を向けてみたい。
マラムレシュ地方という北部に存在するサプンツァ村にある男性が住んでいた。彼の名はスタン・バトラシュ、木彫り職人だ。
バトラシュ氏は暗く陰鬱とした葬儀と、残された者の悲しみを癒すため、ある試みを始めた。それが、墓標作りである。
さて墓標といえば皆さんはどんなものを想像するだろうか。先ほど述べた一般的なルーマニアの葬儀の項でも述べたとおり石または木製の十字架か、日本やヨーロッパのような墓石や石碑か、あるいはオベリスク型の柱か――そういったものが一般的だろう。
だが、この村で作られる墓標はこれらのいずれとも違った様相をしている。まず目に入るのはその色だ。青、赤、黄、緑――ただの模様ではない。農夫の姿だったり、肉屋の姿だったり、故人の生前の職業が描かれている。当然、その形状は前述したような直方体そのものではない。さながら屋根付きの小屋といったような姿をしている。まるで、今もまだ故人がそこで生を謳歌しているかのような、そんな錯覚を覚えるのは私だけだろうか?
現地でその墓地は観光地になっており、入場料を支払うことで見て回ることができるという。もしルーマニアを訪れた際は足を運んでみるのもいいかもしれない。