今日の日本で行われている仏式葬儀では、よほどのことがない限り、故人は戒名(浄土真宗では法名、日蓮宗では法号)を授けられる。
しかし、この戒名が一般庶民にも浸透したのは、実は江戸時代中期以降である可能性が高い。
寺請制度によって普及していった仏式葬儀
江戸時代初期には、いわゆる隠れキリシタンや日蓮宗不受不施派の取り締まりのために、「寺請制度」がしかれた。これは、全ての人をどこかの寺院に所属する「檀家」とする制度である。この制度によって、一般庶民の間にも仏式葬儀を行うことが急速に普及していった。
ところで、仏式葬儀の様式そのものは、中世の曹洞宗にルーツがある。修行僧が亡くなった際、彼らの志を果たしてやるため、故人を正規の僧侶としての扱いで弔うしきたりがあった。これを後の時代に一般の人々の葬儀に応用したのが、始まりであった。
ここで、本来は「僧侶としての名」である戒名を、故人に付けることが始まる。しかし初めのうちは、仏式葬儀を行う場合でも、戒名を授けられるのは基本的に上流階級の人々に限定されていたようである。
一般庶民にまでは定着していなかった戒名の授与
そもそも上流階級の人々の間では、中世の頃から、当主の座を後継者に譲った前当主や、夫と死別した要人夫人などが、出家して男女僧侶になるケースが多かった。そしてその際には、無論僧侶としての名に改名するわけである。そのため、江戸時代に入り貴人が後半生僧侶となるケースが減ってきてからも、葬儀で戒名を授けられることの意味を、彼らはきちんと理解していた。
しかし一般庶民の間では、「現役引退後」に僧侶になることは、基本的に縁遠いことであった。従って、庶民たちは戒名を授けられることの意味を、余りきちんとは理解していなかったと考えられる。また、彼らの菩提寺の僧侶も、死者に戒名を授ける意味を、当時の庶民層の人々にも分かりやすく説明することができたかどうかは、はなはだ怪しい。そのため、江戸時代の前期には、庶民層の人々が戒名を授けられることは、一部の富裕な識字層の庶民を除いては、非一般的だった可能性が高いともいわれている。
「戒名は授かるもの」と書かれた偽文書の影響
そんな中、元禄時代頃の仏教界で、とある「秘密兵器」が作られた。江戸幕府の祖徳川家康の名を借りた偽文書で、名を『神君様御掟目十六箇条宗門檀那請合掟』という。この文書は書写され、津々浦々の寺に普及して庶民への説法に使われた。更には、寺子屋で児童の手習いの教科書にもされたほどである。
この偽文書の内容は、自分の菩提寺との関係を密にすることが必要だと説くものであり、その中に「葬儀では、戒名を授けられる決まりがある」というくだりがある。
つまり庶民の戒名は、「徳川様がそう決めたのだから、有り難く授かりなさい」という虚構の歴史を権威として傘に着ることで、江戸中期以降に普及していったもののようである。