現代の日本では、「喪服」といえば黒い礼装である。
しかし歴史的に見ると、喪服が黒なのは、実は新しい時代に始まった習慣であった。明治期〜大正初期くらいまで、日本で白い喪服が着用されていたことは、ある程度歴史や冠婚葬祭習俗に詳しい人々の間では、有名である。
ちなみにもっと過去の時代の平安貴族は、喪服に「鈍色(にびいろ)」という濃い灰色を使っていた。そこから中世末〜近世の頃に、白い喪服が着られるようになった。
喪服が黒となった理由とは?
喪服が黒となった理由は、黒い喪服を着る西洋諸国の習慣が日本風に翻案され、取り入れられていったと考えられる。そして一般庶民にまで黒い喪服を着る習慣が徹底されるようになったのは、実は戦後に入ってからであった。
ちなみに、これは余り指摘されていないが、明治〜大正になってから黒い喪服が取り入れられ始めたのは、男性の礼装の洋装化と、関係がないとはいえない。
現代でこそ、結婚式や披露宴での新郎の衣装に白いタキシードが選ばれることも少なくない。しかし往時の男性用の改まった洋装は、必ずと言って良いほど、濃い色の上着であった。そのため、この時代の男性用洋装は、晴れ着と黒い喪服を兼ねることができる衣装であったふしもある。
晴れ着と喪服を兼用していたケースもあった
話は変わるが、「晴れ着と喪服を兼ねることができる衣装」といえば、興味深い報告がある。
何と戦前には、地方や宗教宗派によっては、いわゆる晴れ着が喪服も兼ねることが、「ごくごく普通のこと」であったケースがあるというのである。
戦前戦中、恐らく太平洋戦争が始まる前のある時行われた、靖国神社の慰霊祭に参列する遺族の女性たち、特に東京在住ではない地方の住民のいでたちはかなり様々であった、という報告がある。中には華やかな色や模様の和装姿の女性が、戦死者の妻であったというケースもある。
そして、そうした地方在住の遺族女性が「晴れ着が喪服」である習慣を東京中心で出してしまい、気まずい思いをしたことが、黒い喪服を地方でも一般化させていくことにつながったという。
弔事と慶事にまつわる礼服の歴史
なお、戦前までは地方や宗教宗派によっては、弔事にも「晴れ着」が活躍したということに関して、興味深いことは他にもある。
例えば、これは筆者が中学生の時に読んだ本に出てきた例である。出典や詳細は忘れてしまったが、未婚の若い女性が亡くなった例で、彼女の遺体にいわば死装束として「晴れ着」が着せられたくだりがあった記憶がある。
今となっては死に装束も多様化したため、専用のドレスやワンピースが売られている。しかし当時、死に装束に晴れ着が使われたのは、地方や宗教宗派のためにそうなったのか、それとも故人が未婚且つ若年の女性だからこのような衣装を着せたのかはわからない。
ただ、戦前の日本では、弔事と「晴れ着」は密接に結び付くことも少なくなかったのであり、このケースもその例の一つと言えよう。