海や山での散骨、樹木葬墓地と様変わりしてきたお墓。
形式が多様化してきた理由としては、故人の趣味や金銭的な側面もあるのだろうが、現代社会の様々な事情から多様化してきたのだろう。
しかし、お墓の本来の目的である故人を弔うためのモニュメントとしての役割は、形式がどのように多様化しようとも何らかの形で残っていくのかもしれない。
納骨のため菩提寺の墓地に向かったが…
どうしてお墓のことに触れたかと言うと、何回か前の筆者のコラムを綴り始めた時に、お墓に関するある出来事を思い出したからだ。今回のコラムは、筆者が以前経験した、お墓に纏わる少々信じられない話しを綴ってみる。
何年か前に筆者の叔父が亡くなった。
病死だったが、故人の生前の意向により直葬となった。手続等全ては滞りなく進み、愈々納骨となったのだが、その際に大問題が。
菩提寺にて筆者親族が所有するお墓に行ったところ、納骨のためにお墓の蓋が開けられていなかった。参列者一同が、疑問に思いながら僧侶を待っていると、僧侶を伴い寺男氏が来た。
間違って別のお墓を開けていた菩提寺
筆者が寺男氏に、納骨のための蓋が開けられていないのだが、どうしたのかと聞いた。
寺男氏は驚いた顔をしながら「済みません!別のお墓を開けてしまいました!」と言ったのだった。僧侶が大慌てで蓋を開けてしまったお墓に行き読経を始めた。寺男氏は緊張した顔で筆者親族のお墓の蓋を開けた。筆者が、寺男氏に最初に開けた方のお墓の蓋はどうするのか聞いたところ、この法要が終わったら閉めておきますとのこと。
読経が終わった僧侶が来て、お詫びした後に法要が始まり納骨となった。無事(?)終わった後に両者に聞いてみると、年に何回かあると言われ、参列者一同開いた口が塞がらなかった。
今となっては、笑い話で済ませることも可能ではあるが、当時は立腹するよりも呆れ返って何も言えなくなっていた。親族の一人は、こんな不義理を働く寺から改葬すべしとの不満もでたが、お布施と供養料を一部返金して貰ったことで不問となったのだった。
遺骨の取り違えなんてことも…
この事を後日別の親戚に話すと、珍しいことではあるが、それほど大事ではないと言われたのだ。
その親戚の菩提寺は、筆者の菩提寺とは違い遠方にある。そこで起こったことを教えて貰ったのだが、確かに筆者が経験したことから比較すると、大事ではないような気がした。
それは、盂蘭盆の法要の際にその年において新盆を迎える故人の遺骨をお墓から出して、ご本尊の前に安置して供養した。法要が終わり、それぞれのお墓に納骨となるのだが、そこで何ヶ所かのお墓を取り違え、別人の遺骨がお墓に納骨され、一年以上気が付かなかったとのことだった。
気が付いたのは、ある年に別人のお墓に納骨がなされ、その際に、その方の親族とは異なる方のご遺骨があったことが分かり、原因を調べた結果ご遺骨の取り違えが発覚した。
ただ、都市部とは違いおおらかな方が多い土地柄故に、殆ど問題にもされず、笑って済まされたそうだ。筆者も聞いた後、良い意味で何とも言えない気分になると同時に、故人もあの世で笑っているかもしれないと親戚に言い、お互いに笑いあった。
だが、こんなことってあるものだなとも思った次第。このような経験をされた方、他にもいるのだろうか・・・。