私の祖母が突然の病で亡くなった。まだ59才の若さだった。
長年、高血圧持ちだった祖母は、血管を患って、あっという間に亡くなってしまったのだった。
ベランダに置いていた漬物石を持ち上げた瞬間に、血管に大きな負担がかかってしまったことが直接の原因らしい。生前の祖母の意向で、葬儀は神式で執り行われた。
神式で行った葬儀。最期に流したのは賛美歌。
祖母が亡くなった実感がわかず、涙も出てこなかった。
葬儀の最後になって、参列者全員で、賛美歌を歌うことになった。美しいピアノの伴奏が始まると、参列者は歌い始め、みんな涙を流して、時折声を震わせている。いつくしみ深き、というフレーズが何度も繰り返される、美しい曲だった。
しかし、いつくしみ深き、友なるイエスは…の、その先の歌詞がよく聞き取れないのだ。祖母は人生最後の曲に何故この曲を選んだのだろう。歌詞を知ることが出来たら、祖母の大切にしていたものが少しでもわかる気がした。
ケンカが絶えなかった祖母と母
ぼんやりと立ちつくしていると、生前の祖母との思い出が、よみがえってくる。
私が小学校4年生頃のことだ。母と私と弟ふたりは、祖母の家へ移り住んだばかりだった。祖母と母は毎日ささいなことでケンカが絶えなかった。二人とも離婚して女手一つで子ども達を育てた女であったから、気が強いもの同士でぶつかりあうことも多かったのだろう。
ある晩、いつものように口論がはじまった。だが、その日はいつもと少し様子が違っているようだった。祖母は、自分が飲んでいた熱々のホットコーヒーを、びしゃりと私の母へ浴びせかけたのだ。母は驚いて、なにやらどなり声をあげると、手近にあった荷物をまとめて、玄関へと飛び出していった。
家を出てからは滅多に会わなくなった
私と二人の弟は、ただ座って茫然として見ている他なかった。「お前たちも行け!」祖母の声が、狭い団地の一室に響きわたる。私たちは慌てて立ち上がると、母の後を追った。
祖母の家を飛び出したものの、ほかに行くあてもなかったので、家族4人で公園の屋根付きベンチで眠った。朝は水飲み場で顔を洗った。お腹がすいて買ったお弁当が、ちょうど777円だったので、ラッキーセブンだね、などとバカなことを言って、子ども心に母を元気づけようとしたことを妙に覚えている。母は疲れて途方にくれていたが、私はケンカの声が絶えない祖母の家から、離れられたことが嬉しくて仕方なかった。
だから、お金がなくなって、母が家へ帰ると言い出した時には、すっかりしょげかえってしまったものだ。祖母の家へ帰ると、祖母はひとことも口をきかなくなっていた。その後間もなく、母は新しい家を見つけて私たちは引越した。それからは、祖母とは滅多に会うこともなくなってしまったのだった。
愛することの難しさを表現した賛美歌
賛美歌のメロディは、私にいろいろなことを思い出させる。そういえば、あの後、祖母は一度だけ私の運動会を見に来たことがあった。祖母は泣きながら、「ごめんね」といって抱きしめてくれた。その祖母が、今は目の前の棺のなかで安らかな顔で眠っている。ありがとう、ゆっくり休んでね、と心から思った。
後に知ったことだが、その賛美歌の歌詞は、愛することの難しさを表現したものだった。そして、自分の罪が、許されますようにという祈りのような歌でもあった。
祖母がいつも手元に置いていた聖書の「隣人を愛せよ」という言葉の下に、何度も何度も赤い鉛筆で印がつけられていた、ということも後で聞かされた。今でも、その美しいメロディをどこかで耳にするたびに、祖母を思い出す。愛することに不器用で、とても一生懸命だった一人の女性として。あなたは、人生最後の曲に何か一つ選ぶとしたら、どの曲にしますか。