「一寸の虫にも五分の魂」とあるが、日本全国には虫の供養のために建てられた墓が存在する。故人の墓を建てその人を弔うのと同じように、虫の中にも魂があると感じて、その弔いを行うのである。
柏木沢の蚕影碑
群馬県高崎市の柏木沢には蚕影碑がある。養蚕業は紀元前から中国で行われている歴史の長い産業である。蚕は野生では生きられず、人間に飼育されることでしか生存することができないというのも、人間が蚕を生産源として利用してきた長い歴史の影響があるだろう。日本においても養蚕が隆盛していた明治期にこの石碑は建てられた。明治20年、5月23日に群馬県相馬村(現在の高崎市の柏木沢)を中心に60センチメートルにおよぶ激しい降雹があり、これによって桑畑に甚大な被害が生じた。桑の葉を餌とする蚕の飼育が困難な状況に陥ったため、村人たちは相談した末にやむを得ず不動寺前の丘に穴を掘り蚕を埋めることにした。蚕を葬ったあとには、蚕影山大神を祀り、蚕の霊を慰めた。現在残る蚕影碑はこの時の惨状を後世に伝えるため、明治30年に当時の村人たちによって建てられたものである。降雹や遅霜などによる桑の被害、それに伴う蚕の埋葬は、全国各地に見られる。
高野山のしろあり供養塔
シロアリといえば、建物に被害を出す害虫として有名だ。そんなシロアリに対しても、その命に対して真摯に向き合い、弔った人々がいる。和歌山県高野山奥の院へと続く参道に、「しろあり供養塔」がある。石碑の碑表には「しろあり やすらかに ねむれ」の文字が彫られている。この石碑を建てたのは公益社団法人 日本しろあり対策協会の人たちだ。シロアリの駆除や被害の予防をしている人たちだが、シロアリを敵ではなく、悼むべき立派な生き物として弔っているのだ。しろあり対策協会のホームページには、この供養塔について、「しろあり供養塔は、人間生活と相容れないために駆除されたシロアリの供養を目的として、会員ならびに関係者の賛同協力により昭和46年に完成いたしました。当初はシロアリの供養のみを行っておりましたが、昭和50年からはシロアリ防除に携わってきた功労者(しろあり関係物故者)も合祀するようになり、現在までに120名余の方々が奉納されています。家屋の害虫であるシロアリを供養する、その特異な存在は合祀された物故者ご遺族のみならず、高野山を参拝する多くの方々の目に留まり、シロアリ問題の啓蒙に大きな役割を果たしています。世界遺産高野山で、やむを得ず命を落とした多数のシロアリと、予防の大切さを感じてみてはいかがでしょうか。」とある。人間生活と相容れないがために、人間の都合で殺してしまうシロアリたちに対しての誠実な供養の気持ちが感じられる。
参考資料
■依田賢太郎『いきものをとむらう歴史 供養・慰霊の動物塚を巡る』社会評論社 2018年7月