身近な家族の死、親しい友人の死…突然のことであれ、予期していたことであれ、その人との最期の分かれとなる葬儀は悲しい雰囲気に包まれます。 葬儀のあいだ、参列者の方々の表情はどうでしょうか。
様々な表情の参列者
黙って沈痛な面持ちをしている人、こらえきれずに泣いている人、その人の死を受けいれられずに呆然としている人。参列者と故人との関係性もさまざまであり、さらに故人の死をどう受け止めているかで、当然その表情も人それぞれだと思います。
私は特に、涙をこらえながら悲しみに耐えている表情の参列者や、表情を押し殺したような神妙な面持ちの参列者を多く見かけるような気がします。
悲しい出来事に、声を上げて泣きたい人もいるかもしれないのに、そういう姿はあまり見かけないと思いませんか?
「泣く」ことに対する文化的な違い
「泣くことには、文化的な違いがあるといわれています。いくつかの文化や国、例えばブラジル人、またイタリア人などは喜怒哀楽をはっきり表現し、公の場でも泣くこともしばしばあるそうです。その一方で、人前で感情を出すこと、泣いたりすることは恥ずべきことだとする文化もあります。日本がこれにあたるのではないでしょうか。
日本人は、他の国の人々と比べると喜怒哀楽をあまり表に出さないと言われています。今日では少しずつ変わってきているかもしれません。しかし、葬儀で悲しみをこらえて泣かない参列者の表情には、「人前で泣くのは恥ずかしい」とする考え方が大きく影響していると思います。
表情も様々。参列理由も様々。
あるいは、日頃から付き合いがなくても葬儀に参列する、義理付き合いで葬儀に参列する話もちらほら耳にします。さらに、核家族化が進んで親戚とは名ばかりの葬儀に参列することもあるのではないでしょうか。
故人との関係が希薄であれば自ずと参列する時の表情も、先に述べたように何とも言えない神妙な面持ちになるような気がします。
さまざまな人間模様がある葬儀。その時の参列者の表情を思い浮かべていろいろと考えてみました。あくまでも私の個人的な考えなので正解ではないかもしれません。しかし、当たり前だと思っていることでもちょっと視点を変えてみると、故人との関係性だけでなく、日本人の文化的背景の一端を垣間見られるような気がします。