インドネシアでの葬儀に喪服は基本的に必要ない。一部では礼服を着用することもあるが、庶民はイスラム服か普段着である。普段着での参列なので、故人とは無関係の通りすがりの人も葬儀に参列することができ、誰でも食事をご馳走になることが出来る。多宗教の日本や、キリスト教が根付いている欧米諸国と違い、イスラム教が生活の一部になっているインドネシアでは、畏まった葬儀ではなく、普段通りの生活が色濃い葬儀になるからこそだろう。埋葬については風土柄早目に行われる。
インドネシアにも法要はある
日本と同じく、インドネシアにも法要はある。それぞれ、「三日法要」「七日法要」「四十日法要」「百日法要」「千日法要」とあるが、「四十日法要」まで行う地域もあれば、「千日法要」まで行う地域もあり、いつまで法要を行うかは地域によって異なる。なお、法要でも葬儀と同じく特段礼服を着用する必要はない。
インドネシアのトラジャ族は葬儀に莫大な費用をかける
同じインドネシアでも葬儀に強いこだわりをもつ部族がある。「トラジャ族」と言われる中部スラウェシ州に生きる人々である。
トラジャ族は葬儀(ランブソロ)に費やす費用がなんと生涯収入よりも多い。そのため、それだけの費用を要するために、葬儀の日程ずらすほどだ。
トラジャ族の葬儀では牛を集め、次々に解体する。牛を購入する費用が高くなるのだが、良い牛であればあるほど、死後も幸せになれると信じられている。そして、牛は死者の魂を天国まで運んでくれるとされ、多く生贄にするほど早く天国へたどり着けると信じられている。
ちなみに一般的なインドネシアの死生観は「死は裁きの日」というものだが、トラジャ族では少し違う。「ブヤ」と呼ばれる魂の終着点へ向かう一つの流れだと考えられている。
インドネシアのトラジャ族にとっての死や葬儀とは
トラジャ族にとって、「死」は必ずしも悲しいものではない。その為、人々は泣くことは無く、マイクを持った盛り上げ役がいるほどで、みな笑っていることが特徴だろう。他の国には「泣き女」と呼ばれる、葬儀で悲しみを盛り上げる職業もある中で、トラジャ族はその真反対に位置するといえるかもしれない。
ちなみに、トラジャ族は喪服を着用する。黒いシャツに黒い巻きスカートのようなものだ。しかし、トラジャ族の葬儀は数日かけて行われるため、参列者は数百人にも上り、故人に近しい人は喪服を着用するが、それ以外の人は平服で構わない。
インドネシアのトラジャ族の独特な葬儀の風習
トラジャ族では家族が亡くなってからしばらくは故人をミイラ化し、「病人」と呼び、生活を共にする。着替えさせ、食卓の前にも座らせる。葬儀の日に初めて「死者」となるのだ。
これは正面から「死」と向き合うことで「生」を尊いものだと感じられるという独特の死生観によるものだ。トラジャ族にとって、「死」は生きる人と死者の間を隔てるものでは無いのである。