日本においてキリスト教といえばローマ・カトリックと、そこから分かれたプロテスタント諸派のことである。しかし、東ヨーロッパを中心に発展してきた東方正教会(オーソドックス)を知る日本人は多くはない。東方正教会いわゆる「ギリシャ正教」をいくつかのトピックに絞って概観したい。
ギリシャ正教の歴史1:東西に分裂したローマ帝国
ローマ帝国はテオドシウス帝(347〜395)没後の395年東西に分裂し、キリスト教会も東西に分かれることになった。西ローマ帝国は短期間に滅亡するが(皇帝追放476年)、その後の西欧世界では西方教会=ローマ・カトリックの教皇権が拡大し、東方教会は東ローマ帝国=ビザンティン帝国と共に発展していく。それでもキリスト教自体は基本的にはひとつであった。
ギリシャ正教の歴史2:東西教会も分裂
キリスト教の本拠地はローマ、コンスタンティノープル(コンスタンティノポリス。現代のイスタンブール)、アレクサンドリア、アンティオケ、エルサレムの5大総主教区があり、ローマ以外の4区は東方教会に属する。中でもコンスタンティノープルはローマと並ぶ格式があり、現代においてもコンスタンティノープル大主教は東方教会の代表格として認知されている。その大主教とローマ教皇の対立、第4回十字軍によるコンスタンティノープル征服、三位一体をめぐる論争(聖霊発出論争)などの諸原因により、1054年東西教会は完全に分裂した。
ギリシャ正教の歴史3:弱体化した東方教会はロシアに拠点をうつした
時代と共にビザンティン帝国は徐々に弱体化し、コンスタンティノープルは第4回十字軍に占領され東西分裂は決定的となった。そして1453年、ビザンティン帝国はオスマン帝国に滅ぼされた。東方教会の中心はロシアに移り「ロシア正教会」として現代に至る。東方教会はローマ・カトリックのようにローマ皇帝の下に一本化しているわけではなく、各国に正教会が存在しそれぞれ独立している。日本には日本正教会がありロシア正教会とのつながりが深い。
西方教会との違い1:呼び方や聖職者名、十字の切り方が異なる
東方教会ではキリスト教本来のギリシャ語を使用することから「ギリシャ正教」と呼ばれるようになった。西方教会ではラテン語が取って代 わることになる。こうしたことから正教ではイエス・キリストは「イエスス・ハリストス」と呼び、日本正教会の正式名称は「日本ハリストス正教会」である。神父・牧師に相当する聖職者は「神品」という日本人には耳慣れない呼称を用い、十字の切り方なども異なる。
西方教会との違い2:異なる原罪の解釈
また、キリスト教における重要な概念である「原罪」についての解釈も異なる。西方教会では人間は堕落した存在であるとするが、ギリシャ正教では人間は善なるものとして創造されたとする。西方教会がエデンの追放による堕落説を強調するのに対して、ギリシャ正教は神の似姿として創造された点を強調する性善説を採用している。原罪や堕落はキリスト教全体の共通概念ではないのである。そしてさらにギリシャ正教の西方教会に対して特に際立った特徴としてイコンと「神化」の思想がある。
神が人になった証
イコンはキリストやマリア、聖人の姿を描いた聖画である。ギリシャ正教ではイコンを非常に重視する。イコンは神が人(イエス)の肉を纏って降臨した「受肉」を表現したものである。旧約聖書の神は偶像崇拝を禁止した。しかし新約聖書では神の受肉(ギリシャ正教では藉身と呼ぶ)という奇跡が起きた。イコンは神が人の身体を纏って世に出た証である。人の姿を取るからこそ絵に描けるのである。他の宗教なら偶像になる聖画への崇敬だが、絵に描くことは神の奇跡の証をすることに他ならない。神の受肉を説くキリスト教ならではの発想といえる。ギリシャ正教はこの論理で、イコン廃止の危機(イコノスクラム=聖像禁止論争)を乗り越えた。西方教会ではプロテスタントが分かれ簡易化が進められたが、東方教会では頑なにイコン崇敬が根付いている。
「埋葬式」と呼ばれるギリシャ正教で執り行われる葬儀では、「パニヒダ」という死後神の国で安らぐための祈りが行われた後、その遺体、または遺体の額に紙製のイコンが巻かれる。イコンを遺体に巻くのはイエスと共にあらんことを願うためだろう。しかしそれだけではない。イコンは神の受肉の証であると同時に、人が神になれる証でもあるのだ。
人が神になる思想
ギリシャ正教では神が人になったのは、人が神に成るためであるという「神化」(テオーシス)の思想がある。全知全能の神に人がなれるのか。簡単に言うと神そのものには近づけないが、神の属性に触れることはできるというものだ。例えば「光」である。瞑想や身体技法によって、光が見えるようになり光と一体になるという。これは空海(774〜835)の神秘体験に似ており、極めて神秘主義思想に近く、神の唯一性を絶対視する西方教会ではありえない。その西方教会でもマイスター・エックハルト(1260〜1328頃)、ニコラス・クザーヌス(1401〜64)らが神との一体を説く、ギリシャ正教に通じる神秘主義を唱えたが、いずれも異端として弾劾された。人間が神になる思想は教会にとっては都合が悪い。教会や聖職者は神と人間との間を取り持つ神の代理人である。神化思想はその存在意義を否定する。西方教会は王権とのせめぎ合いの中で教会の権威付けが必要だった。「神の代理人」の権威は最強の武器であり、権威が揺らぐような思想は許されなかったのだ。教会を否定し聖書のみを重んじたプロテスタントでも「神の代理人」を否定した合理性故に、神秘主義的な神化思想は受け入れられない。正教ならではの思想といえる。神化思想は死というネガティブな儀式である葬儀にも、神に向かって上昇していくというダイナミックな意味を与えることになると思われる。
総合的宗教
宗教は創造神などこの世界の外に超越的な存在を置く超越型と、行を深めることで悟りを開いたり宇宙と一体になるといった内在型に分類できる。超越型のキリスト教やイスラム教では内在型は内在型は神秘主義として異端視され、内在型の密教や禅では外部の超越的存在は否定される。そうした中でギリシャ正教は唯一神を奉じながら、神秘主義の要素も公式に組み込む総合的な宗教といえる。ギリシャ正教は日本人には馴染みの薄い宗教であるがその内容を知ると、我々の一般常識としての西方キリスト教とは一味違う、興味深い世界が広がっているのである。
参考資料
■高橋保行「ギリシャ正教」講談社学術文庫(1980)
■小田垣雅也「キリスト教の歴史」(1995)講談社学術文庫
■久松英二「ギリシャ正教 東方の智」(2012)講談社選書メチエ
■落合仁司「地中海の無限者 東西キリスト教の神・人間論」勁草書房(1995)