少し落ち着いてきたが、まだまだ残暑は厳しく、今夏でエアコンや扇風機は飛ぶように売れただろう。ところが、その一方で大勢の方が熱中症や水難事故で亡くなられている。天気予報で各地の最高気温を発表して、水分補給やエアコン使用など熱中症対策や水難事故防止を呼びかけているが、一向に事故は減らない。地球の温暖化が進行しているのか、猛暑は日本だけでなく北半球の全域に及んでいる。
「四谷怪談 皿屋敷 牡丹灯籠」が三大怪談映画
一昔前の夏の風物詩と言えば、夏祭り、盆踊り、風鈴、うちわ、花火、金魚すくい、ヨーヨー釣り、綿菓子、朝顔、浴衣、すだれ、夕涼みの縁台、打ち水、井戸水で冷やしたスイカ、カキ氷など思い出されるが、映画館では納涼映画として、恐ろしい背筋がぞっとするようなお化けや幽霊の怪談映画が必ず上映されたものだ。
1950年代から1960年代にかけて数多く製作され、大半は死者が怨霊と化し、悪人に祟りをなし、因果応報の果てに恨みが晴らされるという筋立ては、古くから日本人には馴染み深いテーマで、「四谷怪談」、「皿屋敷」、「牡丹灯籠」が三大怪談映画と呼ばれている。
中でも「四谷怪談」は戦後からだけでも10本も映画化されている。私はリアルタイムで怪談映画を見たことはなく、新聞の映画広告を興味を持って見ていた。後年「四谷怪談」(1959年)「東海道四谷怪談」(1959年)、「怪談」(1965年 原作小泉八雲)、「忠臣蔵外伝 四谷怪談」(1994年)の4本を見ている。
「四谷怪談」誕生の経緯とあらすじ
東海道四谷怪談は1825年7月、江戸の中村座で書き下ろされた鶴屋南北71歳の時の5幕の歌舞伎狂言で、仮名手本忠臣蔵の外伝という体裁で書かれ、さまざまな巷談、説話を骨組みにしてまとめられたものである。その粗筋は次のようとおりである。
塩冶の浪人民谷伊右衛門は、自分の旧悪を知っている妻お岩の父四谷左門を闇討ちにする。薬売りの直助は恋の遺恨からお岩の妹のお袖の夫、佐藤与茂七(実は人違い)を殺害する。二人は姉妹に父と夫の仇討の助力を約束する。貧しい浪人暮らしを続ける伊右衛門は産後の肥立ちが悪く床についているお岩を疎ましく思う。隣家の高師直の家臣伊藤喜兵衛は伊右衛門に恋をした孫娘お梅のために伊右衛門を婿にしようとお岩に毒薬を飲ませ、お岩の顔は忽ち醜く腫れあがる。仕官を条件に婿入りを承諾した伊右衛門はお岩を邪険にし、お岩は恨みながら死んでゆく。お梅との婚礼の晩、お岩の怨霊が現われ、錯乱した伊右衛門はお梅と喜兵衛を斬り殺して逃亡する。一方、お袖は直助と夫婦の契りを結ぶが、死んだと思った夫与茂七が帰ってきたので、お袖は申し訳なさに死に、直助もお袖が実の妹と判り身を恥じて自害する。伊右衛門はお岩の祟りを恐れて、蛇山の庵室にこもるが、そこにもお岩の怨霊が現われ、さんざん苦しめられた挙句、与茂七の手にかかって殺される。という完全懲悪の怪談話である。
1959年の「東海道四谷怪談」はどんな映画?
1959年新東宝の「東海道四谷怪談」は大映の「四谷怪談」と競作となり、しかも封切り日まで7月1日と同じ日であった。大映版の伊右衛門は大スター長谷川一夫であるのに対し、新東宝版は若手の天知茂であり、制作予算、宣伝費、封切館の数等、新東宝は圧倒的に不利であったが、作品の評価は新東宝版に軍配が上がった。新東宝版の監督は怪談映画の巨匠と言われた中川信夫であり、フランシス・フォード・コッポラ監督は「世界のオカルト映画の最高傑作」と絶賛している。天知茂もその演技を三島由紀夫に高く評価され、三島の戯曲「黒蜥蜴」の明智小五郎役に抜擢された。
1994年の「忠臣蔵外伝 四谷怪談」はどんな映画?
原作が「仮名手本忠臣蔵」の外伝であるのに対して、この映画は本物の「忠臣蔵」の外伝となっているので、その点では原作に忠実とも言える。深作欣二監督らしく、悪人側の顔が白塗りであったり、赤穂浪士の討ち入りを亡霊となったお岩が助けるなど奇想天外の演出があり、評価は分かれる映画である。
ところがこの年の日本アカデミー賞作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞、主演女優賞を受賞し、主演女優賞の高岡早紀はその他の映画賞の主演女優賞を総なめにしている。日本の映画賞は演技力は無くても脱ぎっぷりの良い女優に主演女優賞を与えることが時々ある。
最近、怪談映画はすっかり廃れてしまったが、おどろおどろしい怪談映画で涼しさを味わい、残暑を乗り切りたいものだ。