「介護生活」ーー社会が手助けしてくれる世の中になったとは言え、家族にかかる負担は少なくは無い。介護されるようになってからでは、終活しようにも手遅れになるのではなかろうか。良い死に方の定義はともかく、若い頃から健康に注意した生活をしていないと良い死に方ができない。早死にして家族を泣かせるだけでなく、介護老人になって苦労をかけることがないように日頃から健康に注意することが大事だ。
健康に気を遣いすぎて運動習慣病なんて言葉も生まれるかも?
病気の原因は日頃の生活に原因があると思う。不衛生もあろうし、偏った食生活やアルコールや喫煙、ストレスが複雑にからんで発症する。肥満で高血圧になるとか、飲み過ぎや偏食などで肝硬変になるとか、喫煙しなくても受動喫煙で肺がんリスクが高まるとか、やばい情報が飛び交っている現代だ。
健康の為らしいが、スポーツクラブに通って走ったり泳いだりする人がやたら増えた。休日のスポーツクラブの駐車場はいつも満車だ。
スポーツが身体に良いってのは嘘ではないが、やり過ぎは逆効果に決まっている。ダイエットの為と言うのも突き詰めれば、服のサイズより命のサイズの為だろう。
そんな彼らも将来介護が不要であるという保証は全くないのが正直な話だ。不摂生が病気になるとは限らないのと同じ理屈だ。それなのに何故彼らはひたすら身体を動かすのだろう。運動習慣病が出現するのも時間の問題か。
食事や運動、健康診断など日々の意識付けが重要な健康
何にでも寿命があるということは誰でも知っている。生まれたものは死ぬ。判っているようでわかっていない人がほどんどだ。ある日、暴飲暴食やら不摂生の限りを長年尽くしてきたような人が急に生活を改める時が来る。年に一度の健康診断や人間ドックなどでドクターの小難しい顔で検査結果の悪話を聞いてからのことだ。
医者に告知されて神社やお寺に祈りに行くのはどう考えても遅すぎる。好き勝手な人生も良いが、家族を持つようになったら生活の改善は義務だろう。タバコが止められないなんて世界の潮流からも遅れている。散歩に行こうと言い出したり、減塩の醤油にしようとか言い出すのはどうも胡散臭さくて往生際が悪い印象だ。転ばぬ先の杖やら後悔先に立たずでも何でも良いが、昔から戒めの言葉はたくさんある。
電子タバコに替えたから大丈夫だとか、低カロリー食品だ、発酵食品だ、EPAだ、DHAだゴマが良いだのと言うのは良いが、三日坊主にならぬように。
ただし望んだ死に方ができるとは限らない
ぽっくり逝く人もいれば、病気で亡くなる人、事故や災害で亡くなる人もいる。死は誰もに等しく訪れるが、死に方の不平等格差ったらありゃしない。健康に注意していた人もそうでなかった人にも意外な死に方はあるだろう。いずれにしても結果として健康に長生きを少しでも実践できたらいいと考えている人が多いだろうが、健康であることと望んだ死に方との相関性はそこまで強くないかも知れない。