いつの時代も若者は心霊体験などの「怖い話」や、心霊スポット探訪などが好きである。しかしそれらは時として、死者を冒涜する行為につながる。葬儀やお盆、お彼岸などに参加することが少なくなった昨今では、特に死者を悼む気持ちが希薄になっている気がする。死者を悼むとはどういうことなのか。
ある霊能者の話
1990年代に反オカルト派の論客として精力的に活動していた大槻義彦氏(早稲田大学名誉教授)がテレビ番組でこのような話をしていた。
ある霊能者が「事故が多発する呪いの十字路」なる場所を「霊視」したところ、かつてこの場所で事故死した少年が「自縛霊」となり、無念の思いを訴えているのが原因であるというのである。大槻氏によると、その少年の母親から救われたとの手紙が来たという。母親は「霊視」の話を聞き、事故に合われた方達に申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、霊の存在を否定する大槻氏に救われたとのことだ。
子を亡くした母親の複雑な思い
筆者の微かな記憶によるものだが、概ねそのような内容であった。大槻氏がその霊能者に憤慨していたのを思い出す。霊能者は少年を事故の加害者呼ばわりするのと同じことだからだ。なぜ息子を失った母親がこのような思いをしなければならないのか。大槻氏はここから霊能者批判に展開させていった。
しかし母親の真の悲しみはさらに深いと思われるのは、“超常現象ハンター”大槻氏に息子の霊の存在を否定してもらわざるをえなかったそのことである。
母親であるなら息子の霊がどこかにいると信じたいに違いない。本来なら大槻氏の霊魂否定論は、母親は認めたくないものだったはずだ。しかし、人様に迷惑をかけるなら存在しない方が良い。母親にそう思わせるまでに追い込んだ霊能者の罪は重いと言わざるをえない。
全日空機雫石衝突事故の現場「慰霊の森」が心霊スポット化している
いわゆる心霊体験と呼ばれる話がある。また「心霊スポット」と呼ばれる場所がある。特に若者は興味本位でそのような話で盛り上がり、現場に踏み込みたくなるものだ。しかしその行為には死者への冒涜が隠されていることに気がついていない。彼らの軽い冒険心は死者を面白半分に嬲っていることにならないか。
1971年 乗員乗客162人全員が死亡した「全日空機雫石衝突事故」の現場は「慰霊の森」として整備されている。一方でこの場所は国内屈指の心霊スポットとしても知られており、ネットには深夜に「探検」「探索」などと称して踏み込み、興味本位で撮影した写真を掲載しているサイトも存在する。また、1985年 乗員乗客520名が死亡した「日本航空123便墜落事故」の現場も特A級の心霊スポットであり、現場にまつわる怪談話が後を絶たない。苦痛の中で命を散らした人達の魂を「お化け」扱いする感性はあまりに想像力に欠けている。
沖縄で集団自決の現場となった「チビチリガマ」事件
死者の冒涜という行為では去年話題になった「チビチリガマ」事件がある。1945年 太平洋戦争末期の沖縄戦で、沖縄県読谷村の自然壕「チビチリガマ」で住民83人が集団自決に追い込まれた。そして戦後、ガマの中には死者を悼み祠や遺品などが備えられた。
2017年9月、この「チビチリガマ」の中にあった遺品の瓶が割られたり、修学旅行生らが折った入り口の千羽鶴が引きちぎられたりしているのが見つかった。加害者は沖縄県内の少年4人で器物損壊容疑の疑いで逮捕された。少年らは「肝試しだった」「(ガマの歴史は)ほとんど知らなかった」などと供述したという。但しこれには続報がある。
少年らは反省し、死者を悼んだ
2018年 保護観察処分を受けた少年4人がウートートー(祈り)の気持ちを込めて遺族らと共同制作した。遺族会長の男性は「深い反省を感じた。この子たちだからこそできる平和の伝え方もあるはず」と期待を寄せる- (毎日新聞 4月3日配信より抜粋)
少年たちがどこまで本当に反省したかは知るよしもないが、歴史を学び死者を悼む気持ちを持ってくれたらと願う。
死者は「お化け」ではない
霊というものが存在するかどうかはわからない。しかしもし存在し、我々に語りかけてきたとしたら、それは悲しみの言葉以外にない。そんな自分たちが興味本位、面白半分に「お化け」扱いされたら悲しみは一層深くなるだろう。「探検」に赴いた彼らはせめて手を合わせるくらいのことはしているだろうか。甚だ疑問である。そこには死者を悼む心情は見いだせない。