2018年7月19日に、カザフスタンのフィギュアスケート選手、デニス・テンさんが刺殺された事件は、世界中に衝撃的な事件として報道された。2014年のソチオリンピックで銅メダルに輝き、同競技としてカザフスタン初の五輪メダリストとなったテンさんは、間違いなくカザフのヒーローだった。7月21日、首都アルマトイで行われたテンさんの葬儀には、1万人以上の市民が集まり、25歳で旅立った英雄の早すぎる死を悼んだ。殺害現場には、今も花が手向けられている。
ダイアナ元王妃に突然訪れた死
テンさんのニュースを見て、同じように母国に貢献し、愛され、惜しまれつつ見送られて行った人物は、他にどんな人がいただろうか、と、ふと思い返してみた。最初に思い浮かんだのは、やはりイギリスのダイアナ元妃である。1981年の華々しいロイヤルウェディングから、1996年の皇太子との離婚、そして1997年の事故死まで、彼女の人生は、そのスキャンダラス性から、世間からは賛否両論分かれるところがあった。しかし、彼女の遺体が英国に帰ってくると、バッキンガム宮殿前は市民からの何万という献花で埋まり、既に離婚が成立していたにも関わらず、準国葬としての葬儀が執り行われた。これは、良くも悪くも人間らしく生きた彼女が、国民の心を捉えて離さなかった証であり、その国民の愛情が、王室が彼女の死を無視することを許さなかったのだ。
生前、彼女はこう語っていた「私は皆さんの心の王妃でありたい」。その言葉が現実となった瞬間だった。
壮大な葬儀となったシュゼッペ・ヴェルディ
イタリアの作曲家、シュゼッペ・ヴェルディの葬儀ほど、壮大なものはないだろう。今も残っている当時の写真を見ると、葬列の通る大通りは25万人もの人々で埋まり、トスカニーニの指揮の下、ヴェルディの名作「行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って」が、820人の歌手による合唱と共に演奏された。その様子を想像するだけでも、ヴェルディが、いかにイタリア国民から敬愛されていたかが窺い知れる。
19世紀、イタリア統一運動の気運が高まる中、「アイーダ」「椿姫」など、多くの作品を生み出したヴェルディ。特に、当時のイタリア人が、自らの愛国心と重ね合わせた「ナブッコ」の成功により、次第にイタリア統一の象徴的存在となって行く。栄光と失意を繰り返しながら、作品を生み出し続けたヴェルディの生き方は、苦渋に満ちた統一運動と、相通じる何かがあったのかも知れない。そして、1901年、20世紀の幕開けと共に、ヴェルディは88歳で息を引き取った。
「行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って」は、イタリア第二の国歌として、今もなお唄い継がれている。
最後に…
生命ある限り、死は平等に訪れる。若くしてその人生を突然終えたダイアナとデニス。自らの使命を終え、大往生したヴェルディ。それは、たまたまの出来事だったのかもしれない。しかし「人は皆、役割を持って生まれてくる」という話を聞くたび、やはりそれだけではないような気がする。ダイアナとデニスの死は、それぞれの国の在り方への何らかの警鐘であり、ヴェルディの死は、その才能の全てを国の遺産とするためだったのではないかと。いずれにせよ、黄金の翼に乗って旅立って行った彼らの魂は、これからも永遠に、祖国の行く末を見守り続けてくれる事だろう。