釘打ちの儀式とは、出棺の最後に遺族が石で柩の蓋に釘を数回打った後に葬儀社が釘をすべて打ち込んで、出棺となる儀式である。日本では古来より、幾多のお葬式でこの儀式が採用されてきたものの、一部地域を除いて現在ではほとんど行われていない。そこで今回は全国的に釘打ちの儀式が行われなくなった理由と、今も残る一部地域について探っていこうと思う。
釘打ちが衰退していった二つの理由
古くから釘打ちの儀式が行われてきた背景には公衆衛生上の側面と遺族の認識による側面がある。
前者の公衆衛生上の側面からすると、現代のようにドライアイスを使用するなどといった遺体を保存する術がなかったため、腐敗による伝染病の流行を食い止めるために釘打ち儀式が行われてきた。
一方、後者の遺族の認識による側面からすると、遺体は穢れという認識のもと故人と決別するために釘打ちの儀式が行われてきた。このように両者の側面からみて、古来より、釘打ちの儀式は必要不可欠なものであった。
ところが、現在ではドライアイスの使用など遺体を保存する技術が発展したことにより腐敗することがなくなり、遺族の意識も遺体が穢れであるという認識から清純であるという認識へと変化してきた。そこで、釘打ち儀式が必要不可欠とされた両者の側面はみられなくなり、現在ではその姿を見ることはほとんどなくなった。
一部の地域に残る釘打ち儀式
今ではほとんど行われなくなった釘打ち儀式だが、現在も一部地域では行われている。代表的な地域は徳島県三好市である。この地域では古くから遺体を持って行く妖怪である火車や、遺体をまたいで暴れる妖怪である猫またといった数多くの妖怪伝説が語り継がれている。このように数多くの妖怪伝説が残る三好市だが、古くから妖怪は穢れの代名詞であると捉えられていた。そこで、釘打ちの儀式によって妖怪を徹底的に遠ざけようとした風習が存在した。このため、三好市では、妖怪が安心して成仏できるようにという願いもこめられて現在も釘打ちの儀式が行われている。
釘打ちの儀式の今後
このように一部地域では釘打ち儀式が残っているものの、公衆衛生上の問題や遺族の意識の変化などによってそのほとんどが姿を消した。ただ、釘打ちの儀式の本来の意味をもう一度見直してみよう。釘打ちの儀式とは本来、死者が三途の川を無事に渡ることができるように願うための儀式である。そこには穢れといった概念は微塵も感じられない。これに関しては、徳島県三好市の例と類似しているといえよう。むしろ我々が遺体を穢れと捉えて釘打ちの儀式を敬遠しているに他ならない。このようにさまざまな問題から行われなくなった釘打ちの儀式、死者を葬るという観点からもう一度見直してみてもいいのではないだろうか。