死生観とひとことで言っても、人によって考え方や価値観が違う。それは、その人が信じる宗教や哲学によっても変わってくるものであるし、もっと突き詰めていえば、親を亡くした兄弟が兄と弟で親の死をいかに受け止めるかは違いがあると思う。しかし、ここでは日本人の大半が感じているような、また日本人の死生観の傾向性みたいなものが伝わればという思いで考察をしてみた。
死生観に大きく影響する宗教
世界の死生観を見るときにやはり宗教の影響が大きいと思う。例えば、終末論的世界観を持つユダヤ教、キリスト教、イスラム教の人たちは、最後の審判を受け復活の思想があるため、魂がもどる肉体は、残しておかなければならない。そのために、土葬にする慣習がある。遺体を焼くことは、むしろ破門や死刑以上の重罪であり、異端者や魔女への極刑を意味するものである。これは、葬送の違いによる一例であるが、日本のそれとは大きな違いがあると言わざるを得ない。
日本人の死生観のバックボーン
日本人は、特定の宗教に属さない無宗教の人が多いとされているが、自然と仏教的な死生観を持つ人が多いのではないかと推察する。前述の葬送の仕方という一例を見ても日本では、火葬がかなり古くからおこなわれ、平安時代に書かれた源氏物語でも火葬の煙を詠む歌などが紹介されているほどである。このように日本では、仏教の考えが根底に流れていたため、肉体は単に霊魂の入れ物にすぎず、生まれ変わるとされていたため火葬への抵抗感がないのだと思う。
死という実感のないもの
ここまで、葬送の仕方から見る死生観の違いを論じてきたが、現代の日本人は、死ということにあまりピンとこない人も多いのではないかと思う。なぜなら、核家族化が進み祖父母や叔父さんや叔母さんなどの親戚関係も希薄になり、葬儀の時に棺に入った遺体を見送るだけでというものになってきているように思う。例えば、人が息を引き取る瞬間をどれくらいの人が見たことがあるのだろう。核家族化のため親の住んでいる町が遠ければ、40代、50代の人でも親の死に目に会えなかった人も多いのではないか。そのような意味でも、死というものが身近でないため、死生観について問われても自分の意見を語れる人も少ないのではないか。
死生観を持つことで生きることに実感と充実を
死生観を持つことは、必要であると思う。死というものに実感のない私たちが、死を感じたときに漠然とした恐怖感や不安感にさいなまれる。もちろん、事故などによる突然の死というものが、自分に訪れた時には、死生観を持つ持たないはあまり関係ないのかもしれないが、病気や寿命によって日々衰えていく自分と向き合うには、死生観を持つことで残りの時間を充実させ、残された家族にも一定の配慮を巡らせることができるのではないかと思う。最近では、終活という言葉ができ、人生の最後の準備をすることもいろんなメディアでも報じられるようになってきた。一人の人間の最期を荘厳たらしめることができるかどうかは、死に向き合うことができる死生観を持つかどうかであると思う。